かつて名古屋の堀川には、たくさんの丸太が浮かんでいて、
その丸太の上を器用に行き来する人の姿を見たことがある方は
多いのではないだろうか。
もちろん、40歳より若い人は見たことないだろうけど、、、、
松重閘門あたりから熱田にかけて材木問屋や製材所が
今も残っているが、かつてはもっとすごかった。
そのあたりは全国でも有数の木材の集積場で、
問屋や製材所が密集し、定期的に材木市が開かれて、
材木を買い付けるために全国から人が集まってきていた。
その歴史を説明すると長くなってしまうからやめとくけど、
江戸時代に尾張藩が誕生したころから始まっているのだから、
とにかく長いんだよなあ、、
今は白鳥公園になっているが、
あそこはかつての貯木場を埋め立ててできたものだ、
そんなわけで、50年くらい前までは
その周辺には木材を扱う職人がたくさんいた、
以前、紹介した大蔵真さんもそうだし、
で、
今回、紹介する栗田実さんもそのひとり、
栗田さんは桶をつくっている。
お父さんが昭和26年
名古屋市中川区で桶づくりを始めたそうだから、
今から70年以上前のことになる。
まさに材木がさかんに取引され、
たくさんの職人が働いていた時代だ。
栗田さんは小学生の頃から、
その手伝いをしていた。
とにかく忙しい時代で、
次から次へと、できたそばから
桶を取りに来る人が絶えなかったそうだ。
かまどでご飯を炊いていた時代は
朝にその日食べる白米を一気に炊くので、
昼、夜に食べる白米は、
おひつに保存しておくのが一般的だったし、
お風呂もヒノキの桶で、
湯桶や行水の桶もあった。
とにかく、その時代、桶は生活の必需品だった、
栗田さんは、小学校から
りっぱな戦力となり、
お父さんの桶づくりを支えていた、
気づいたら、
親父よりも、おれのつくった桶のほうが、
出来がいい、と感じるような腕前になっていた、
あれから60年以上、
栗田さんは桶をつくり続けている。
桶は生活の中から消えていき、
生活はずっと便利になった。
たくさんいた桶職人は、いなくなり、
栗田さんだけになった。
それでも、栗田さんは桶をつくっている。
材木問屋から丸太を購入して、
それから、製材をしてもらって、
それを家の屋根で乾燥させて、
板を切って、カンナをかけて、
タガをはめていく。
桶は釘や接着剤を使わない。
それでも、水が漏れないようになっている。
つくり方は、昔とまったく変わらない。
木材は、その空間が乾燥すると水分を放出して湿度を上げ、
逆に、湿度が高いと、水分を吸って湿度を下げようとする性質がある。
さらに、木の肌を触れたときの心地よさとか、
あと、木の香りとか、
それらの点に注目すると、
暮らしの中で、桶を使う価値が
まだまだあるんじゃないかなあ、、
もちろん、炊飯器の便利さや
ユニットバスの掃除のしやすさは
まったく否定しないけど、
幸せに楽しく暮らすには、
それだけじゃない何かが
必要な気がするんだけど、、
どうだろうか、
栗田さんが、桶をつくり続けるのは
たぶん、
それだけじゃない何かを、
どこかで求めているからだと、思う。
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