自分にとって、近しい所

昨日、京都へ。
ちょうど祇園祭の時期で、まちは人でごった返していたんだけれども、
いろいろおもしろい光景に出会うことになった。

まず最初は、地下鉄の中、
欧米の家族が大きなベビーカーとともに乗り込んできた。
お父さんとお母さん、小さな女の子二人、それと赤ちゃん、
お母さんが赤ちゃんを抱っこして席に座ると、
ぼくの目の前で、泣いている赤ちゃんのために、
お乳を与えはじめたのだ、

昔はたまに見かけた光景だが、
最近はとんと見かけない、
今でも、田舎の列車の中ではあるだろうか、、、
少なくとも、混雑している都市の地下鉄の中で見かけることはない、
まあ、ぼくは全然悪い気分にはならなかったけど、、、
やっぱり、母親は強いなあと改めて思った、

その次は昼食を食べた蕎麦屋さん、
ぼくは一人でカウンターに座っていた、
目の前で、おじさんがいろいろやっているんだけど、
出来上がってきた蕎麦に海苔を乗っけたり
給仕をする女性に何番テーブルとか指示したり、
お会計をしたり、、、

でも、このおじさん、あわて者のようで、
あー、と叫んで頭を抱えたり、
あれ? と言って伝票をあさったり、
会計をしながら、おかしいなあ、とつぶやいたり、
何だか知らないけど、とても、段取りが悪いのだ、
そのおじさんの、あわてた姿がおかしくて、
ぼくは笑いをこらえるのに必死だった、、、

京都では、祇園祭の山鉾を見たり、
京セラ美術館の村上隆の展覧会を見たり、
タッチパネルの蒸着加工をしている会社の話を聞いたりした、
地下鉄のお母さんと、蕎麦屋のおじさんにも出会った、

ぼくは日常の暮らしそのものが旅であるという意識がある、
近所を旅する、
それがぼくの目指している境地だ、

でも、近所って、どこからどこまで?
というのはなかなか難しい問題で、
人によっても違うだろうけど、
今回、京都をぶらぶら歩きながら、
京都も近所に入れていいな、とぼくは感じた、

そんなんだったら、何でもよくなってしまうじゃないか、、、
でも、京都は近所でも、
たとえば名古屋の守山区は近所じゃないんだよなあとか、
そういうことだってありうる、と思う、

自分にとって、近しい所、
それが近所、と、
いったん定義してみよう、と思う、

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