近所を読む

名古屋市昭和区で「カフェ&ギャラリーkinjo」という店を一昨年の10月から始めて今年2月まで続けていた。
そこでは、たくさんの出会いがあって、これまでない思いや感情を味わい、ほんと貴重な体験だった。
なかでも印象に残っているのは、木地師の大蔵真さんのお椀をじっと見つめて悩んでいる若い女性の姿だった。
その丸いお椀は、漆が塗られていて、木目がきれいに浮き出た素敵なものだった。
若い女性にとって、ちょっと迷う価格。1万5000円くらいだったかなあ。
このお椀、とっておくので、どうしても欲しくなったら、また来てください。お金はその時で大丈夫です。
そう声をかけると、女性はとてもうれしそうだった。そして、1週間あと、女性はお椀を取りに来た。
その時、こんなふうに誰かにものを手渡すのっていいなあと思ったんだよなあ。

近所は日常そのものだから、あまり刺激がなくて、面倒くさくて、むしろ積極的に関わりたくないものと捉えている人は多いんじゃないだろうか。
でも、ぼくは近所や日常に同化するのではなく、対象化したいと、ずっと思ってきた。
実際、これまで、ぼくは日常を旅する、あるいは近所を冒険しようと、何かをいろいろやってきたように感じている。
本を読むように、近所や日常を読む。それが今のぼくのめざしている場所だ。

大蔵真さんのお椀を買った女性と、日常を旅する話って、なんか関係があるのかと疑問に感じる人も多いだろうが、なんか関連がある気がするんだよなあ。
ここをその二つが両立する場所にしていきたい、少しずつね。
だから、みなさん、どうぞよろしく。

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