藤と骸骨

名古屋城へ続く東の入り口、藤が見ごろを迎えている。

わあ、きれいだね、

すれ違ったおばさんが、思わずそう感嘆の声を上げた。
なんの雑念もない、その言葉に、
ぼくも心の中で、ほんと、きれいだ、と応答した。
言葉っていうのは不思議だなあ。
嫉妬や自慢や怨念、いろいろな雑念が混じっていると
すぐ伝わる。
逆になんの雑念もない言葉には、心が動く。

笠寺観音で、手作りの出店が集まるイベントを開催していた。
入り口のあたりで、おじさんが自作の骸骨の人形を売っていた。
ぼくが立ち止まると、
恐ろしいと感じるかね?
と話しかけられたので、そんなことない、と答えると、
おじさん、とうとうと話し始めた。

骸骨が机に向かっている作品、
死ぬまで勉強というでしょ、
でも、これは死んでも勉強というタイトル、
うん、なるほど、
ヒノキの木でつくっているというから
随分手間がかかっている。
これは、定年退職後の楽しみだと話すおじさん。

そういえば、最近わかったことがある。
本当の人生は60歳から始まるということ。
それまでは前振りみたいなものだ。
たぶん、みんな気付いているはずなのに、
どうして言わないんだろう。

だから、60歳までなんか、
なにをやってもいいし、なにをやらなくてもいい、
なーんだ、もっと早く言ってくれよ、

骸骨おじさんの話を聞きながら、
ふと、そんな言葉が頭に浮かんだ。
これは何か雑念を含んだものだろうか。
それとも天からの啓示かな、
いや、たんなる戯言だろう。

おじさんの骸骨に関する話はまだ続いていたが、
ひと段落ついたところで、
いろいろ話してくれてありがとうございます、
そう声をかけて、ぼくは、その場を離れた。
おじさんは、ちょっと寂しそうな顔をした。
ぼくは心の中で謝りながら、
藤、きれいだったよ、おじさん、
と、話しかけていた。

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