糸をつむぐということ

話は一気に明治時代へ。

一口に繊維産業といっても、いろんな素材、工程があるので、
それらをごちゃまぜにしてしまうと、なにがなんだかわからなくなってしまうから、
今回は綿の糸をつむぐということについて詩的に(どこがだ?)考察してみよう。
(綿と棉という二つの漢字があるのは、なかなかおもしろいと思う)

綿に、撚りをかけながら引き伸ばしていくことで、糸になる。これは驚くべき発想だと思う。
以前、糸車で実際にその糸をつむぐ作業を見たはずだが、記憶があいまいだったので、
動画でもう一度確認すると、やっぱり不思議だなあ、糸って。

糸がいつ、どうやって誕生したのかは、よくわからないが、
なんか糸って、発明というよりは発見という言葉のほうが
しっくりくるような気がするけど、どうだろうか。

日本だけでなく、世界中どこでも、機械が導入されるまでは、すべて糸は手つむぎだったし、
しかも、それは女性の仕事だった。とにかく、糸はたくさん必要だったから、
暇を見つけては、あるいは他の作業をしながら、女性は糸をつむいでいた。

日本で、機械によって糸をつむぐことがはじまったのは幕末の鹿児島。
蒸気機関を動力する日本初の近代的な紡績工場は薩摩藩がつくったんだね。
その後、薩摩藩は大坂にも紡績工場をつくったし、あと東京にできた民間の鹿島紡績所、
この3つは機械紡績の嚆矢として有名のようだ。知らんかったけど、、
それにしても、薩摩藩はすごいな。

愛知県でも、わりと早くに機械による紡績が始まった。
明治14年に水力を動力とした官営の愛知紡績所が、イギリスから輸入したミュール精紡機2基を導入して
岡崎で操業を開始している。でも、結局、それはあまりうまくいかなかったみたい。
ちょっと規模が小さかったことが、失敗の原因の一つらしいけど、、、
その遺構が今も残っているから、一度見に行こうかなあ、、、

愛知紡績所のこの失敗を参考にして、渋沢栄一さんたちが出資した大阪紡績会社は成功。
で、その成功をきっかけにして、大阪は繊維産業が発展していくことになるんだけど、
失敗とか成功って、この時代、いろいろつながっているんだね。

一方、名古屋では、こうした近代的な紡績工場としては、
明治18年、名古屋紡績会社が、地元の綿花を使って今の金山駅あたりで創業を開始し、
明治20年には、名古屋市熱田区に尾張紡績会社が設立されている。
明治後半になると、渋沢栄一さん(どこでも出てくるな)が関わった四日市の三重紡績は、
日本有数の紡績会社へと成長を遂げていて、名古屋紡績と尾張紡績を吸収合併し、
さらに津島紡績、桑名紡績、知多紡績も吸収合併して、愛知県の紡績会社をほぼ統合、
そして、大正3年には大坂紡績と合併して、東洋紡績となる。

日本の近代化は紡績から始まったと言っていいと思うけど、
名古屋でも、その動きは早くから活発だったということが、よくわかるなあ。

あ、そうだ、忘れてはいけない、ガラ紡のことを。

世界に類例をみない紡績法といわれるガラ紡は、
長野県出身の臥雲辰致(がうんたつむね)という人が明治6年に発明して、
明 治 10年の第一回内国勧業博覧会で最高賞にあた る鳳紋褒賞を受賞している。
このガラ紡、愛知県三河地方に明治10年代後半にかけて爆発的に普及していき、
その後、西洋の紡績機械の普及に伴って一時的に衰退したりしたが、
なんだかんだ昭和40年くらいまでは三河地方を中心としてがんばっていた。
でも、今、現役でガラ紡が活躍しているところはあるのかどうか、、、

ただ、愛知県一宮市の木玉毛織というところが、今もガラ紡の体験を行っている。
木玉毛織で検索すると、なかなかいい味わいの糸と出会うことができる。
それらの写真を見ていると、糸って、なんか、不思議で、心揺さぶられる。

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