立ち止まったままから「再開」へ  中村未生さん 直美さん

この「誰かが、どこかで、何かをつくっている」というコーナーは、
この世の中にあるすべてのものは、誰かがつくったものである、ということと、
そのほとんどのものは、自分以外の誰かのためにつくったものである、という二つの意味を込めたつもりである。

そういったものをつくる背景には、恩を受け、恩を返す、という思いがある、、
だから、ものをつくるということは、人とつながるということだとぼくは思う、、
決して孤独ではないと感じること、
誰かが、どこかで、ものをつくるのは、そういうことなんじゃないかと思う、

ぼくが、ものをつくっている人の話を聞くのは、ものをつくっている人の言葉から、
人とつながろうとしている心の動きを感じたいと思ってるからで、
そのための一番いい方法が雑談である、
そのひとの素直な言葉、そのひとしか話せない言葉、着飾っていない言葉、
そんな言葉が聞きたい、、、

というわけで、今回もそんな言葉を求めて、雑談に行ってきた、
画家の中村未生(みお)さんと陶芸家の中村直美さんご夫妻のところへ、、、、(中村直美さんは、島村という旧姓で活動をされています)

文・写真 小出朝生

ふわっと陶芸の世界へ

ーー中村未生さんに名古屋のギャラリーでお会いしたときに、奥さんが陶芸を再開したという話を聞きまして、ぼくは「再開」という言葉に、ちょっとぐっときまして、、。再開って、いいですよね。立ち上がっていくというイメージがすごく勇気を与えてくれます。なので、今日は、中村直美さんがどうして陶芸を再開したのか、という話を聞けたらいいなと思っています。ではまず、再開するためには、その前に一度スタートしているということなので、そのあたりからお聞きします。

直美 わたしは短大を卒業して金融系の会社に就職したんですが、、金融系の仕事、向いてないなと思って。で、知り合いから失業保険をもらいながら陶器の勉強ができる訓練校があるよ、と教えてもらって、それならいいかと思って。行ってみるかと、仕事を辞めたんです。

ーー結構、思い切りましたね、

直美 若かったし、仕事がいやだったし、向いてないし。美術館に行くのは好きだったんですが、これから絵を描くのはちょっと難しいかもしれないけど、陶芸ならできるかもしれないと思ったんですね。

ーーじゃあ、なんとなく、仕事も嫌だし、やってみるか、って感じですか?

直美 そうですね。わりと、ふわっとした感じ(笑)

女性に年齢を聞くのは失礼にあたるのかもしれないけれども、聞いてしまいました。直美さんは現在52歳

ーー瀬戸の訓練校(名古屋高等技術専門校窯業校)はどうでしたか?

直美 やっぱり楽しかったですね。年代もいろんな人がいるし、肌に合っているな、と感じました。

未生 訓練校で知り合った友達とは今も仲良くしてるしね。この前の妻の個展でも、関東圏からたくさん見に来てくれたし。

(ここで中学生の息子さんが帰宅)

直美 今日、終業式だから早く帰ってきた、

ーーこんにちは(息子さんにご挨拶)。お子さんは中学の息子さんと?

直美 大学1年生の女の子がいます。

ーーお子さんたちは美術系に行く感じですか?

未生 ぜんぜんですね。息子は野球、野球、野球。娘は本を読むのが好きで、そっちのタイプです。
自分が美術をやっているので、逆に教えないほうがいいと思ってしまって、とくに何も伝えることはしなかったんです。

ーー未生さんは小さい頃から美術の道に進もうと思っていたんですか?

未生 ぼくは生まれた時から(笑)。おじさんが絵描きで、家には画集ばかりが並んでいたんです。その影響で、小学生のときには、将来何になりたいですか? という質問に対して、絵描きになるといつも書いていました。
ただ、そう書きながらも、そんなことないだろうなとどこかで思っていましたが、高校の時、音楽雑誌の表紙を見て、こういう仕事がしたいと思ったんです。
同時に、高校時代に2、3回停学になっているんですが、そのとき、もう自分は普通のとこにはいけないな、性格的に無理だと悟って、美大に行こうと決めました。

未生さんは57歳。画家、絵画教室の先生のほか、年4回は展覧会の企画も行っている。フットワークの軽さは、やっぱりすごいなあ

ーー美大って普通じゃないところなんですね?(笑)

未生 そうです(笑)。美大受験のために河合塾美術研究所に通ってみたら、自由だし、やんちゃでおもしろい子がいっぱいいて、こんなに居心地のいいところはないと思いました。
でも、美大を卒業後は就職をしないといけないと思っていたので、、、

ーーえ、それで普通に就職できると思っていたんですか?(笑)

未生 できるとは思ってないけど(笑)、なにかしら働かないといけないとは思っていたから、デザイン科一択だったんです。デザインをやってればポスターとかつくれるんじゃないかと思って、、、でも、美大に入ってから気づいたんですが、それが一番向いてなくて(笑)。
美大に入ったときに4人に1台マックがあてがわれたんです。パソコンをさわれないし、その時点で無理だと思って、デザイン科をやめ、転科する試験を受けて洋画に移ったんです。で、結局、油絵が自分に向いていることがわかった、、、
卒業のとき、バブルの頃だったので、広告代理店2つくらいに内定をもらっていたんですが、このまま就職しちゃうのはなんかいやだなあと思っていて、、、
ちょうどそのときに父親がやっていた商売が失敗して、多額の借金を抱えて夜逃げしたので、これを機会に美大をやめてしまえと思って、やめてしまったんです、
それから、現在の絵画教室を、3人しかいない寺子屋みたいなところからスタートしました、、、
以来、ずっと絵画教室をやりながら絵を描いているから、就職経験はまったくないです、

ーーなんか、さらっと話していますが、すごいですね。

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