漆蒔を継承する現代作家 徳田吉美

左が多治見にある「studio MAVO」という共同工房の前に立つ徳田さん、右が徳田さんの作品。漆蒔と銀彩との組み合わせが美しい

陶器の上絵の技法の一つに、漆蒔(うるしまき)というというものがある。

多くの人が普段使っているのは、転写紙というシールのようなもので上絵付けされた食器だけれども、
転写紙が普及するまで、漆蒔はよく使われていた上絵技法の一つだった。
しかし、今ではほとんど使われなくなってしまったし、そのやり方も忘れ去られつつある。
徳田吉美さんは、その技法を手探りで再現して、今の暮らしのなかで使える器として蘇らせた作家である。
写真ではなかなか伝わりづらいかもしれないが、転写紙の色と漆蒔の色は、どこか違って、
漆蒔には、他の技法では出せない色の深みや艶やかさがある。

今回は、その漆蒔を現代に蘇らせた徳田吉美さんと雑談した。(文・写真 小出朝生)

あ、焼き物やろう

ーー胆のうの手術は大変でした?(徳田さんは胆のうにポリープが見つかって手術をしてから一か月後だった)

徳田 手術はじまるとき、このまま目が覚めなくてもいいと思っていたし、、、
全身麻酔から意識が戻るときに、看護師の人たちの「わはは」と笑う声が聞こえてきて、、、
それほど大した手術じゃなかったんだなあと思いました。

ーーぼくも2年前に大動脈解離の手術をしたときに全身麻酔をしたんですが、目覚めるとき、結構苦しかったです。

徳田 あ、そう、、わたしは、すっと目が覚めた感じ、、まったく苦しくなかったですね、、

ーーただ、大動脈解離のときは、徳田さんと同じように、このまま死んでも、まあ、しょうがないな、という気持ちになりました。

徳田 ね、そうだよね、

作業台と窯、作品の置き場などあって、コンパクトだけれど作業しやすそうな工房

ーーたぶん、一度お話を聞いていると思うんですが、徳田さんは、多治見で陶器をはじめるまで、現代美術をやっていたんですね、

徳田 東京で美術をやっていました。インスタレーションですね。
その活動のために、ギャラリーに勤めたり、雑誌やテレビの裏方の仕事なんかをやっていました。
32歳頃、大きなギャラリーで個展を開催することになって、
どこか広い作業場を借りたいと思って、不動産屋さんで部屋を探していたんです。

そしたら、国分寺で安くて広いアパートを見つけて借りることになったんですが、
そこが画家の児島善三郎の家の敷地に建てられたものだったんです。
大家さんは児島善三郎のお孫さんで、神宮前でギャラリーをやっていました。
ここに部屋を借りたことで、たくさんの不思議な出会いがありました。

で、その敷地の一角に窯があったんです。
焼き物教室をやっていたから、それに参加して、いろんな器をつくったりしていました。

そのあと、40歳の時に離婚して、東京から名古屋に戻って、
人生これからどうしようと、、、、
いろいろあって落ち込んだけど、
その一方で、人生、なんかおもしろくなってきたんじゃないか、とも思ったんです。

で、何だかわからないけど、あ、焼き物やろう、と思ったんです。

漆蒔には、こうした幾何学模様がよく合う

ーーその後、岐阜県立多治見工業高等学校の専攻科に入学して陶器を学んで、卒業後はここ(岐阜県多治見市の「studio MAVO」:たくさんの部屋に分かれている大きな工房。多くの作家が制作場所として部屋を借りている)を拠点として作家活動をつづけているんですよね。いや、なんか、すごいバイタリティですね、、

徳田 児島善三郎の部屋を借りていなかったら、焼き物をやっていないと思います。

多治見工業高校の入学から卒業、それからこの場所を借りて、
窯を設置して、制作場所を整えて、
そこまでで、それまでのわずかな蓄えはすべて使い果たしました。
だから、学校を出たころは、崖っぷちに立っていました。

漆と出会い、手探りで格闘

ーー崖っぷちの力、勢いですね。ちょうどその頃、徳田さんに初めてお会いしたんだと思います。漆蒔との出会いは?

徳田 多治見工業高校のときに、漆蒔を一応教えてもらいました。
ほかの絵付け技法については、卒業後もいろいろ試していたんですが、
漆蒔だけはまだ挑戦していなかったので、一度やってみようかな、と。

で、とりあえず、漆を買おうと思って、多治見の絵の具屋さんにいくと、
そんなもの売ってないと言われてしまって。
仕方ないから東急ハンズで漆を購入して、絵の具をかけて焼いてみたら、
まったく色が出ない、、、
そのあと、仏像修復をやっている後輩に紹介された店を訪ねていって、
そこで漆を買って、焼いてみたら、また色が出ない。

それで、もう一度その店に行って、
漆を仕入れている先に電話をかけてもらって、
わたしが直接説明すると、「一人だけ陶芸作家に漆を出している」というから、
それと同じものをくださいとお願いして、、
その漆が届いてやってみたら、はじめて色が出たんです、

ああ、やっと出たと思いました、
漆蒔を始めて、そこまで1年くらいかかっている、
名古屋の山王にある小谷漆店という店で、今もそこから漆を買っています。

こちらも幾何学模様の漆蒔の作品

漆蒔の美しさは「白地に幾何学模様」

ーーすべてが手探り状態だったんですね、

徳田 そう、でも、色は出たけど、まだ何も知らない状態、わけがわからない、
ずっと模索しながら、でも、なんとか作品をつくりつづけていて、
そんななか、名古屋のギャラリー 4CATSで個展を開催したんです、
そのとき、名古屋の陶磁器デザイナーの神谷さんが見に来てくれて、
多治見の上絵付組合の理事長を紹介してくれたりしました、

少しずつ、わたしが漆蒔をやっていることを知ってもらえるようになってきて、

岐阜県現代陶芸美術館が大倉陶園の展覧会を開催したときに、
学芸員の方から漆蒔について何か話してほしいと依頼をされ、
わからないなりにやったんですが、
そのときに安藤洋二さんが聞きに来てくれたんです、

安藤洋二さんは多治見の上絵付の生き証人のような方で、
いろんな人から安藤洋二さんに会うといいよ、と言われていましたから、
やっと会えたと、わたしは感激してしまって、、、

安藤さんにわたしの作品を見てもらうと、
「あんた、これ一人でやったなら、大したもんだ」と褒めてくれたんです、、、

もう、ね、、ほんとうにうれしくて、、、

そのあとも、安藤さんにいろいろ漆蒔の技法について、
教えていただきました。

それと、大倉陶園の展覧会で、わたし以外の漆蒔の作品を初めて見たんですが、
大倉陶園にも、太いストライプの作品があるんです。
やはり、昔の職人さんも、
漆蒔は、白地に幾何学的な線を入れていくと美しいと感じていたんだなあと。
そう考えると、うれしくて泣けてきました。

ーー美しさを追い求めた先のゴールが一緒だった、というのはいい話です。徳田さんは、漆蒔のどこに惹かれたんですか?

徳田 漆蒔に惹かれたのは、すべてがわからなかったから。
ほかの絵付け技法は、すべてできたんです。でも、漆蒔はわからなかった、、、
わからなかったからやってみた、知りたかった、それだけ、
でも、よくやったなあと思います、

漆をどれくらいテレピンでゆるめたらいいかわからなかったし、
漆が湿度で乾くことも知らなかったし、、
ただ、漆にかぶれなかったのは、ほんとにありがたかった、

いまは、漆蒔に助けられながら生きています、

徳田さんの工房がある「studio MAVO」には、たくさんの作家が部屋を借りている。共同の窯もあって、作家にとっては作品づくりをしやすい環境

🔸徳田吉美さんのホームページ
http://tokudayoshimi.com/index.html

そのホームページに書かれている言葉が、
徳田さんの漆蒔に対する姿勢がよくわかるので、ここに転載します。

「私は特別目新しいこと、奇抜なことをしようとは全く思っていません。
ただ、先人達の残してくれた知恵を、私というフィルターを通し形にし、
今という時代の空気の中で呼吸させてゆきたい、そう思うのです。」

🔸徳田さんの作品を、近々、kinjoショップで販売します。
そのときに漆蒔の技法について、詳しく説明します。お楽しみに。

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