名古屋製陶所の鳴海工場を買収した
かつての住友金属工業が、
戦後、はじめたのが鳴海製陶、
その後、鳴海製陶は
ノリタケとともに日本を代表する洋食器メーカーへと駆け上がっていくから、
知っている人も多いと思う。
いまも美しい洋食器をつくっているしね、
ぼくの個人的なイメージとしては、
ノリタケの食器は凛とした美しさがあって、
鳴海製陶はやわらかい美しさがある
という感じかな、、
その鳴海製陶でデザイナーとして活躍したのが、
今回紹介する安藤栄子さん。
鳴海製陶退職後も、
フリーランスで食器デザインをつづけて、
いろんなメーカから安藤さんがデザインした器が発売されているから、
安藤さんデザインの器を、もしかしたら家で使っている人がいるかもしれない。
また、現在もいろんな上絵付作品を発表している。
まねき猫なんて、ほんとかわいい。
安藤さんは全員が食器好き、陶器好きという家庭で育った。
たとえば、デパートの食器売り場で、
家族の誰かが、気に入った食器とか花瓶を見つけたら、
買って帰ってくるというのは日常茶飯事だし、
きれいな器を手に入れたときには
家族がリビングに集まって、
まず、みんなで器のスケッチをしてから
器でコーヒーや紅茶を飲むという楽しみ方をしていたそうだ。
その話を聞いたときに、
ぼくは、そんな家族、いるんだ、と驚いた。
なんというか、昭和の幸せの家族だなあ、、と、思って。
だから、安藤さんは自然と食器を好きになっていったし、
将来は食器のデザインをやりたいと思うようになった。
鳴海製陶のデザイン部への就職は、
安藤さんにとって小さいころからの
念願だったのだろう、きっと、
いや、もしかしたら、ノリタケが第一希望だったのかもしれないけど、、、
とにかく、安藤さんは鳴海製陶で食器デザイン人生をスタートさせた、
それはちょうど日本がバブルに突入していくころだった、
ペアのコーヒー碗皿セットが、結婚式の引き出物などの
ギフト需要で、たくさん売れて、
ホテルレストランがオリジナルデザインの食器をどんどん発注する
といった、今では考えられないような時代だった。
鳴海製陶の鳴海の工場は、もちろん、アピタにはなっていないし、
広大な敷地に1000人以上の社員が働いていた。
安藤さんは主に、ホテルレストラン向けの食器デザインを担当。
時はバブルだから、建設ラッシュで、
とにかく納期に間に合わせるのに必死だったという。
しかも、何パターンもデザイン案を提出しなければならなかったし、
鳴海製陶としてのデザインの質を保つために、
何度も描き直すことは当たり前だった。
だから、デザインのアイデアをいつも頭の中で
描いていたそうだ。
安藤さんは、そうした忙しい毎日を送っていたが、
10年間ほど鳴海製陶に勤めたのち、
親の介護のこともあって、
フリーランスの食器デザイナーとして独立、
いろんなメーカーからの依頼に応えていくようになった。
まだまだ食器が売れていた時代だから、
多治見や土岐の食器メーカーや問屋は元気で、
そこから、デザインしてほしいという要望は多かったという。
現在、洋食器の状況は、
安藤さんが鳴海製陶に入ったころとだいぶ異なっている。
鳴海製陶の鳴海工場はアピタになって、
インドネシアと三重県で食器生産を続けている。
ノリタケ本社はイオンになり、食器生産はスリランカが主体だ。
多治見や土岐のメーカーの多くは廃業に追い込まれた。
それでも、この地域にとって、食器、陶器は大切な存在だと、ぼくは思う。
食器大好き人間の代表のような安藤さんも、
どんなに厳しい状況になっても、
食器が大好きなのは変わりないと、きっと、思っている。
だから、今も、安藤さんは、上絵付の作品を発表したり、
上絵付教室を開催したり、いろいろな食器のデザインに関する
普及活動を続けているんだね。
なんで、ぼくらは、こんなに食器、陶器に魅かれるんだろう。
どうしてなんだろう、
わからないけど、魅かれちゃうんだよなあ、、
写真説明①:まねき猫の写真は、最近の安藤さんの作品。これを近々、kinjoショップで販売します。
写真説明②:きしめんと龍の絵付けの作品は、凸盛り(デコモリ)という名古屋独特の絵付け方法で、安藤さんが絵付けをした作品。安藤さんは、伝統的な名古屋の絵付けの継承にも力を入れていて、この凸盛りの絵付け教室も開催している。(名古屋陶磁器会館で検索すると、安藤さんの絵付け教室の情報があります)
🔸安藤さんの、人気のまねき猫を、近日、kinjoショップで販売予定です。
現在、安藤さんにお願いしていて、もうすぐ完成するそうです。
また、その時にお知らせします。