呼び捨てされる居心地の良さ

ぼくはずっと生まれ育った場所で暮らしてきて、
卒業した小学校、中学校はまだ残っているので、選挙のときには今も母校まで投票にいっているし、
いつもその前を通ったりしている、、日常なので懐かしいという感情はまったくないけれども、
ふと考えてみると、不思議なものである、、、
ぼくが小学校、中学校に通っていた頃と全く同じ校舎で、外観は大して変わっていない、
しかし、本当にこの校舎に通っていたのだろうかと疑問に思うほど、
感情的なものが何も湧いてこないのである、、
いくら日常だからといっても、たまには、多少、感傷的な気分になってもいいものだと思うのだが、、、
まったく、心は微動だにしないのであった、、、
単なる校舎の建物、それ以上でもそれ以下でもない、、

ぼくのように地元でずっと暮らしていると、
同級生とかにも、道でばったり会いそうなものであるけれども、、、
それがほとんどないのである、、
ちょっと前に書いた、ふんにょう、くらいのものだが、、、
そのふんにょうも最近はとんと会わない、、
おそらく、いろいろな事情によって、みんな違う場所へと移っていったのである、、、

そういえば、ふんにょうのほかに、もう一人、たまに会う同級生がいた、、
ぼくがよく行くスーパーでパートとして働いている同級生の女子である、、
女子というか、女性というか、なんというか、、
レジに並んでいると、その同級生の女子から「いらっっしゃいませ」と声をかけられるものだから、
「いやあ、まいったねえ」なんて、声をかけると、
「あさお」と呼び捨てられるのだった、、、

さらに、「あんた、この前の同窓会、なんで来なかったの?」と問い詰められるのである、
「まあ、なんというか、、、」
「今年の年末にもあるから、絶対参加してよ」
「わかった、じゃあ、、、参加するよ、、」
「ちょおと、私の電話番号を教えるから、連絡してきて、、」と紙を渡されるのである、、
もうすでに3回くらい、連絡先を書いた紙をもらっているけれども、
まだ一度も連絡をしていないのであった、、、

同窓会というものにはほぼ参加したことがない、、
なんか、ちょっとなあ、どうも気が引けるのである、、
ただ、引っ越してしまうと、こんなふうに、
ふいに名前を呼び捨てされることもなくなってしまうだろうし、
ますます小中学校の同級生と会う機会は減ってしまうはずである、、、
それはちょっとさみしい、、

昨日、家のソファとかテレビ台とかでかい洋服をかける家具とかを
粗大ごみとして出したのだけれども、
それが、なんでこんなにでかいんだとびっくりするくらい大きくて、、
汗をダラダラと流しながら、はあはあ息を切らしながら、外へ運んだのである、、
普段、家の中にあるときには、全く存在感のない家具たちだけれども、
捨てようと思うと、とたんにおれはここにいたんだぞと、大きな顔というか、
でかい図体をあらわにするのである、、、

ふだんは何気ないこと、まったく気にしていないことでも、
失ってしまうと、妙にその大きさを実感するのに似ている、、

日常というのは不思議なものである、、、

なにか事を始めようとすると、全く別の貌を目の前にあわらすのであった、、

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