山の中でハム、ソーセージをつくる ゴーバル

分かち合い、共に生きるためのもの作り

理解するカギとなったのは、、
ゴーバル創業者の石原潔さん、桝本進さんらが
内村鑑三が提唱した無教会の精神をもとに創設されたキリスト教の高校・独立学園(山形)で学び、
ともに分かち合う精神を培った仲間であるということ、、

ぼくはキリスト教とは無縁な暮らしだったので、、
当然理解が及ばないところはあるけれども、
「分かち合い、共に生きるためのもの作り」という言葉は、なんかぐっと胸に迫ってくるものがある、、
knjoというこのホームページも、
身近な関係性を見直していこうという思いからつけた名前なので、
どこか共通する部分も感じるのである、、
石原さん、桝本さんたちは、きっと、仲間たちと理想の郷をつくろうという思いで、
ゴーバルをつくったのだ、、、
あの一枚の写真から伝わってきた理想郷を求める雰囲気は、そういうことだったのである、、

ゴーバルの建物、、、この中にハム、ソーセージをつくったり、燻製したり、梱包したり、昼ご飯を食べたりする場所がある、

Living is sharing

それともう一つ、
岩村昇さんという医師である、、
岩村さんは、1962年から18年間にわたってヒマラヤ・ネパールの山村に移り住み、
献身的に医療に取り組み、胸が熱くなるような感銘を多くの人に与えた医師である、、、
”Living is sharing”(生きることは分かち合うこと)」という言葉は、
岩村さんの言葉だったのである、、

日本キリスト教海外医療協力会という組織のサイトに
岩村さんの、次のようなエピソードが掲載されていた、(岩村さんはこの組織からネパールへ派遣された)、、

あるとき、重症のおばあさんを診察したところ入院が必要だとわかったのだけれども、
おばあさんを運ぶ手立てがなく困っていると、、
荷物を運ぶ仕事をしている青年がやってきて、
おばあさんを背負って険しい山道を3日間をかけて運んでくれたそうである、、、
岩村医師がお礼のお金を渡そうすると、青年は、それを受け取らずに、
お金のためにやったんじゃない、「みんなで生きるためですよ」と青年は言って立ち去ったという、、
自分の体力をおばさんにおすそ分けしただけ、と言って、、

ぼくは、このエピソードを読んだとき、
まいったね、と感動してしまったのである、、、
こういう生き方があるんだなあ、、、
「”Living is sharing”(生きることは分かち合うこと)」は、
そういう意味だったのかと気づいたのであった、、、
おすそ分けって、いい言葉である、

どうりで、今のぼくの暮らしとかけ離れていると感じたわけである、、、、

石原さんや桝本さんたちは、
岩村さんにあこがれ、感銘を受けて、
その思いを受け継ぐという思いもあったのだろう、、、

「ゴーバル」はネパール語で牛糞という意味、
ネパールでは、牛糞に水を混ぜて壁や土間を塗り固め、
乾かして燃料にしたり、
お祭りでこんもりと盛って崇めたりするのだという、
崇める対象であると同時に暮らしと共にあるもので、
だから、ゴーバルという言葉には、大地や山に根差し、
分かち合って暮らしていきたいという思いが込められているんだ、きっと、、

この環境の中だからこその暮らし、働き方がある、

ぼくがやられた一枚の写真は、
そんな思いを胸に抱き、
1980年に、標高600メートルの山の中、
岐阜県の旧串原村で、
何かを始めようとしている人たちの姿だったのである、、、

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