サザエさん一家がちゃぶ台を囲んで勢ぞろいしているところに
「明るい家庭には、あたたかい愛がある」と書かれた色紙が
朝、鬼饅頭を買うために寄った「お菓子司 餅勘」に飾ってあった。
ぼくは、正しい、その通りだと思った。
でも、そのあと、
「あたたかい愛がある家庭は明るい」
じゃ、ダメなんだろうかと考えた。
これも正しいよなあ、、、
「あたたかい愛がある家庭は明るい」
そう言われると、それがどうしたと反発したくなる。
「明るい家庭には、あたたかい愛がある」
と言われると、ちょっとした諦めを感じる。
サザエさん一家に比べると、
俺んちは愛がないなあ、とか。
ま、そうだよな、俺には関係ないけど、とか。
愛って大切だと思う、ほんとにそうだよね、とか。
たぶん、
「明るい家庭には、あたたかい愛がある」
というのは、夢のようなものなのだと思う。
憧れ、と言ったほうがいいのかな。
そんな憧れを抱えて、ぼくは現実を生きているような気がする。
「あたたかい愛がある家庭は明るい」
だと、単に事実を述べているだけだから、だからなんなんだよ、となる。
「明るい家庭には、あたたかい愛がある」
の場合は、状態。夢の状態かな。
諦め、後悔の向こうに見える憧れ、、
ややこしいな、
でも、あたたかい愛って言うけどさ、
冷たい愛ってのはないのかなあ、
サザエさん、
冷たい愛ってないかなあ、
ぼくはさらに考えに沈んでいった、、、