父の日に思う

父の日の思い出を振り返ってみると、
自分の父親に何かしたかなあ、、、、
いや、ぼくが子供のころなんて、
父の日なんてなかったはずだ、、
いや、あったのかな、、
よくわからんが、とにかく、あったとしても、
父親に何かをした記憶はないし、
何かをプレゼントしようという気持ちになった記憶もない、

会うこともあまりなかったしね、、
父親というのは、存在していることが、
プレッシャーにもなり、
安心感にもつながっていたのではないかなあ、、、
実際に会わなくてもいいいし、あんま、会うとかは関係ないと思う

仕事関係で会った印刷屋のおやじが、
自分の死は息子への最後のプレゼントだと思っている、
と話したことに、
ぼくはちょっとした衝撃を受けた、
そのときは、すでにぼくには息子が二人いたから、
確かに、そうかもしれない、と思った、

息子たちが父の日にくれたプレゼントで
記憶に残っているのは、
小学生の長男がパソコンのキーボードをプレゼントしてくれたこと、
今まで使ったキーボードで一番使いやすいよ、
と言ったら、
長男が恥ずかしそうに、ありがとう、と言った、
あのころは、かわいかったなあ、

今日の父の日には、
次男がアイスクリームをプレゼントしてくれた、
大学生なのに、
父の日にプレゼントをするなんて、
すごいなあ、次男、

ぼくなんて、父親のことを、
大切に思ったことなんて、ほぼないなあ、
ぼくはたいした父親ではないけど、
ぼくの死が
息子たちに対する最後のプレゼントであるという思いは、
いつもどこかに持っている、

息子というのは、
たぶん、父親を精神的に殺して成長していくものだと思う。

肉体的な父親の死は、
息子たちが生きていくうえで大きな力となっていくはずだ、

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