よく、名古屋製陶所が、のちの鳴海製陶と
紹介されることがあるけれども、
名古屋製陶所と鳴海製陶はまったくの別会社なので、
その認識は誤っている。
名古屋製陶所が威信をかけ鳴海の広大な地に
最新鋭の設備を揃えた新工場を建設直後、
戦争によって操業を中止せざるを得なくなってしまった、、、
そのため、戦争に必要なものをつくるために
かつての住友金属工業がその工場を買収、
食器をつくるための最新設備は、すべて破棄されてしまった、、
戦後は、その鳴海の工場に
食器をつくるための設備を再整備して、
鳴海製陶としてスタート、
ノリタケとともに日本を代表する洋食器メーカーへと
成長していくことになるんだけれども、、、
一方の名古屋製陶所は、
威信をかけた最新鋭の工場を失ったことが大きく響いて、
戦後は苦戦を強いられっぱなしになってしまう、
規模もどんどん縮小し、
隅へ追いやられるように、
最後は高蔵寺の地でひっそりと幕を閉じた。
それが昭和44年のこと、
名古屋製陶所で働いていた人が、
何人か鳴海製陶へ移って、
食器づくりの立ち上げに尽力したから、
人的な交流はあったことになる。
でも、あまりにも、明暗が分かれた2社と
言っていいのかなあ、、、
アピタになる前の、
広大な鳴海の工場へ何度も行ったけど、
なんか、胸にぐっとくるものがあるなあ、
イオンに変わったノリタケの本社工場もそうだけど、
どんどん、名古屋から陶器の痕跡が消えていくのは、
ちょっと寂しい、、、