落書きしたり、壊したり、楽しいことを提案する  建築家 柴田達志さん

柴田さんの事務所、はじめは名古屋陶磁器会館2階の大広間を事務所として借りていたが、今は1階へ移った、
やっぱり名古屋陶磁器会館の内装はいい雰囲気である、

ビフォーアフターは転換期だった

ーー外から見ていると、柴田さんたち、楽しそうに仕事しているなあ、と羨ましかったですから、、事務所に、たくさん若い人たちが集まっていたから、ぼくも、その集まりによく参加させてもらっていたし、、いろんなところへ一緒に遊びに行きましたね、

柴田 そういう意味では贅沢な時間だったね、、
うん、なんていうの、この年齢になってきたから、仕事をとるための仕事は、もうやりたくないし、くだらない仕事もやりたくないと、でも、自分の合った仕事はやりたいと、ものすごい贅沢なことを基本的に言ってるわけね、、、
もう、お金とか規模とか、それは別にどっちでもいいんですよ、みたいな、、、

若い人を雇うと、どうしても仕事を取ってこなきゃいけないみたいなことがあるから、、今も若い人たちも、ちょくちょく出入りしたりしてるけれども、
物件ごとに、じゃあこれを一緒にやらない、という感じにしているというか、、、

でも、今年入ってすごい仕事がたくさん依頼されて、しかもどれも面白い仕事ばかりで、あれー、みたいな、、どうするかなあ、という感じなんだよね、、

ーー例えば、どんな仕事なんですか?

柴田 競走馬って、ゲートが開いても走り出さない馬とか、怪我した馬とか、それらの馬は殺処分になってしまうんです、、、
それはひどいじゃないか、と、馬の寿命とか考えたら、まだ全然あるわけですし、、、
で、ホースセラピーっていう分野があるそうで、心の病を抱えた人たちと馬が触れ合うことによって、心が癒やされていくというものです、、
そういうホースセラピーの場所をつくりたいという思いを持った方がいて、そのお手伝いをしてくれないか、と、、、

いい話じゃないですか、やりましょう、って返事をして、場所は自然が近いところがいいけれども、あまり山奥じゃだめだから、高速のインターから近い場所がいいとか、
経済的にも成り立つ必要があるから、、ブルーベリーを育ててみようとか、肥料を売ろうとか、いろんなことを考えれば考えるほど面白いわけね、、

まあ、なんか、設計の仕事じゃないですよ、じゃないけど、そこが面白いから、、
ぼくは設計はいいんですよ、そこまで入り込まなくて、若い方が設計をして、一緒に仕事をしながら全体を組み上げていきたいというか、

もちろん、設計の仕事もやっていますよ、
九州で 2件、大阪、京都、東京、千葉、この辺(愛知)でも 2つ、、、

ーー忙しいなあ、、、
柴田さん、自分自身で、ここが転換点だったなみたいな、自分でやりたいことが出来るようになってきたなあという時ってありますか?

柴田 中山と 2人で設計事務所を始めて、、そのときから10年くらい経ったら、別れてやろうと話していたんです、、で、 12年経って、A.S.O STYLEと名前を変えて一人でやりだして、まあ、その時に考えたのがエアコンとか換気扇とかのデザインのことで、、、、建築を設計していて、それらのデザインがあまりにも酷いと思ったんです、、
コンセントの収め方とか、もっとこういう使い方が出来るのに出来ない、みたいな、、、
だから、そういうデザインをやりたいと思って、、、例えば扇風機やコーヒーメーカーをデザインしたり、とかね、
その営業もかけていたんだけど、、、
ちょうど、その頃、ビフォーアフターが始まってしまったんですよ。

ーーその頃ですか、、

柴田 なんかわかんないけど、やることになってしまって、、、

ーー最初は、どういう経緯で始まったんですか?

柴田 友達がテレビのディレクターやってて、最初、地元のテレビ番組に建築の関係で出て、そしたら、ビフォーアフターという番組があるんだけどと、お誘いがあって、ぼくはその番組知らなかったんだけど、出演させてもらうことになって、、 一番最初の地方のやつで出させてもらったの、、、うん、そしたら、次もやってと言われて、 2時間スペシャルもやって、それが受けたみたいで、、、そんなふうにやっているうちに20回ぐらい出たかなあ、、、

ーーそんなに出たんですか、、

柴田 結構、出てるんですよ、、反響がちょっと異常で、50回くらい講演会をやってほしいとか、、建築設計の依頼が 100件ぐらいきちゃったりとか、、、いやいや、そんなにやれないよ、みたいな、、、、ありがたいけどね、、、

でも、ある意味、それが今につながるがる転換だった、、、今でも、あの番組を見て、なんて声がかかったりすることがあるから、勝手なイメージを持たれて、ぼくはそんなんじゃないですけど、という時もあったけど、まあでも、そのおかげもあったから、

だから、あの番組によって設計者として、生かされれたというか、生かせていただいたというかね、そういうことはあるんだけど、本当は、プロダクトデザインという方向もあったかもと思うことはあります、

だいたい中学校ぐらいまでは、車のデザインがしたかったんですよね、、

インタビューのときは、ちょうどぼくが引っ越しを考えているときで、柴田さんにちょっと相談もしてみた、

ーーそういえば、、、初めて会った頃、フェアレディZに乗ってましたね、、、車に電話がついててびっくりしたのを覚えてます、、

柴田 あの電話は、現場で貸りていたんだよね、、

ーーあと、もう一個、柴田さんにとって、中山さんってどんな存在なんですか ?

柴田 ねえ、うん、昨日も夢見たんだ、あいつの、、、もう亡くなって何年経つか、、、よく遊んで、建築の夢を語ってね、、、いろんな人に影響を受けてきたけど、仕事関係でいうと、もちろんあいつになっちゃうんで、、、普通に、ぼくの中では元気で生きてるんですけどね、、

あいつは A型で、ぼくはO型で、ぼくの言う事を聞いてくれるんで、、意外に真面目ですよ、、ぼくは大概いい加減で、税金だとか申請とか 1回もしたことなくて、どっちかっていうと、そういうことをお願いしちゃう方で、、

ぼくは仕事ができれば、80歳になっても90歳になってもやりたいと思っていて、、、バリバリの現役じゃなくてもいいから、なにかやっていたい、、子供たちと一緒に回るような建築ツアーとかね、、

ーー中山さんもそういうタイプですか?

柴田 どうなんだろうな、、あいつは、すごい仕事が好きかっていうと、、そうじゃないように見えたんだよね、、なんか暮らしを楽しむっていうか、そっち系ですかね、、、

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