ぼくは名古屋で生まれて、名古屋で育ち、
途中、北海道へ行ったり、多治見へ行ったりしたけれども、
基本的に名古屋市の金山駅から数分の場所で暮らしてきたのである、
小中学校の頃は、フンニョウと呼ばれるガキ大将の山田くんと仲が良くて、
フンニョウは毎日ぼくのうちに遊びに来た、
その頃の家は木造の平屋建てで、庭に柿の木があった、、
いわゆる市営住宅で、周りには同じような木造平屋が整然と並んでいたのである、
しかし、今から考えるとおおらか時代だったのか、、
みんな自由気ままに増改築を繰り返していて、ほとんど自分の持ち家のような感覚だった、、、
ぼくの家も庭にプレハブの住宅を増築したり、縁側に屋根を付けたり、
なんだか知らないけれども、いろいろ付け加えていた、、
その頃、父親は東京へ単身赴任をしていて、
ほとんどは母親とぼくと弟の三人暮らしで、、、
父親は土曜日に帰ってきて、日曜日の夜に夜行バスでまた東京へと旅立っていったのである、、
フンニョウは学校で最も目立つ存在であった、、、
正義感の強いガキ大将だったから、、、不良というよりは、、
間違ったことをする輩がいると、お前が間違っている、と言って、ぼかりと相手の殴ったりしていた、、、
小学6年生の頃、
給食を食べるのがかなり遅い女子がクラスにいた、
無口でおとなしい女子で、いつも一人で、あまり笑ったところを見たことがない、そんな感じの女子である、
まあ、クラスのみんなは、なんとなく避けているというか、話しかけもしないし、
男子なんかからは、気持ち悪いと言って、
あからさまではないけれども、ちょっとした排除の対象となっていたのである、
当然、ぼくもほぼ関わらなかったのだけれども、
あるとき、フンニョウが、ひとりで座っているその女子に、何やら話しけたりして、
そのあと、その女子が、口を手で隠しながら、くすっと笑ったりしている姿を見たのである、
笑うんだ、、とぼくはその時驚いたけれども、
それ以上に、フンニョウはやっぱりフンニョウだなあ、かなわないなあ、、、と思った、、、
それ以降も、ずっと、その女子はみんなから避けられていたけれども、
フンニョウはときどき話しかけたりしていた、、、
今から思うと、その女子がなんとなく避けられる存在であるけれども、
積極的にいじめられているわけではないという微妙な立場を保っていたのは、、、
フンニョウの存在が大きかったのかもしれないなあ、と思う、
フンニョウは、中学では水泳で名古屋市の記録をつくり、
高校ではどうだったか知らないけれども、卒業すると極真空手の優秀な選手となった、、、
そのあと、どんな社会人となったのかよくわからないけれども、
地元から離れているわけでないようだったので、数年前には、道端で偶然出会うことがあった、、、
おう、あさお、
と、まるで小中学生の頃と同じように呼びかけられたのだけれども、、、
最近は見ないけれども、元気なのだろうか、、、
ぼくは、そんな地元を離れることになった、、、
新しい場所で、新しい暮らしが始まっていく、、


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