名古屋のひとり出版社である桜山社の江草三四朗さんに話を聞いた。
興味深い内容だったんだけれども、
その中で最も印象的だったのは
本を出版するのは修行だと思っているという江草さんの言葉だ。
修業なのか修行なのか、微妙に意味が異なるのだが、、、
話の文脈上は、習い事を極めていくというよりは、
若干、巡礼のようなニュアンスが含まれていたように思う、
はじめて会社員となった20代前半のころ、
ぼくもやはり同じような言葉を使って、自分に言い聞かせていた、
会社に勤めるのは修行である、と、
そうしないと精神の安定を保てなかったからだ、、、
江草さんの場合は、その言葉に、
ぼくの20代の頃とは違う意味が込められているように思う、
いま、本を継続的に出版するというのは、
なかなか大変な仕事であることは間違いない、
お金が儲かるわけでもないし、、、
でもやっぱり、この事実は残しておきたいとか、
心を動かされた人の気持ちを伝えたいとか、
そういった思いを抱えて、それが、
ある一定の人の心へ伝わることを願って
本をつくっていく、、、わけだけど、、
SNSによって、作者が直接受け手とつながることができるようになった、
こういう時代に、
編集はどのような役割を果たしていくことができるのだろうか、
誰の手も借りずに、自らが発信できるようになっているのに、
わざわざ、ほかの人の手を借りて、
編集という工程を経て、それから発信するという
不効率で面倒なことをする意味があるのだろうか、
この人と一緒に何かしたい、
たぶん、大切なのは、こんな気持ちだ、
この人とのつながりを大切にしたい、
編集という役割が輝き始めるのは、
こんな気持ちが生まれたときだ、と思う、
そういった関係の中で生まれてきた本は、
SNSで自ら発信する、
というのとはちょっと違った力を持っている、
とぼくは思う、
そうじゃなきゃ、編集する意味なんて、
あまりないからなあ、、、
その力を信じること、
うん、
やっぱり、ちょっと、修行的かもしれないなあ、、、