業界新聞という仕事は相変わらず面白くなくて、
ぼくは何となく仕事を続けているという日常を過ごしていた。
一方で、名古屋陶磁器会館内のつきあいは少しずつ広がっていった。
グリグリさんの下で働いていたペイペイさんとか、
デザイナーとして独立して事務所を構えていたマッチャンとか、
同じくデザイナーとして働いていたパラパラさんとか、
あいさつを交わしたり、少し話したりするようになっていた、
こうした会館内のコミュニケーションというか、親睦に一役買っていたのが、
会館が主催する親睦パーティというものだった。
名古屋陶磁器会館を管理しているのは、財団法人名古屋陶磁器陶磁器会館という組織で、
その事務所が1階にあった。そのほか、当時は名古屋の陶磁器の輸出組合なるものも
存在していて、それも同じ事務所にあった。
このふたつの組織はまあ一体と考えていい。
そこには事務局長の頭のつるつるのジイジイさんとか、
事務仕事を担うオグッチとか、女性事務員のモトちゃんがいた。
もうひとりくらい女性事務員がいたような気がしたけど、わすれちゃったなあ、、、
こういう普通な社会人(本当は普通じゃなかったけど)が一階の事務所にいて、
その隣に会議室のような広い部屋があって、
そこで定期的に会館内の店子を集めた親睦パーティが催されたのだ、
そのパーティの際には、陶器の輸出の仕事をしている
理事長をはじめとした組合員のおじさんたちも参加していたから、
若い男女とおじさんたちという不思議な集まりだったが、
意外に和気あいあいとした雰囲気で、それぞれが適当に楽しんでいたと思う、
ぼくもその親睦パーティによく参加していて、
店子同士あいさつを交わしたりするうちに、
関係が深まっていったりした、
昭和の終わりごろ、
名古屋の輸出陶器はゆっくりと下降をはじめていたが、
まだまだ余裕があった、
多くの若者やおじさんが一部屋に集まって、
のんびりとビールを飲んだりしている光景を思い出すと、
あまり細かいことは気にしない、というか、
気にしなくてもいい
幸せな時代だったのかもしれない、と思う。
名古屋陶磁器会館前の古い長屋にあった
雑貨屋の店主であるタケジイが
一杯はいった勢いで羽目を外していた姿が目に浮かぶ、
なんで近所の雑貨屋のおやじが親睦パーティに参加していたのか
よくわからないけれども、
いろんなことが大目に見られていた時代だった、、、