2月14日のバレンタインデーというのが、いつ頃から始まったのか、
よくわからないけれども、、
ぼくが中学生の頃には、すでに定着していたと思う、、、
世間的には、それよりも以前に定着していたのかもしれないけれども、、
小学生の頃なんて、もう忘れてしまったし、あまり気にしていなかったからなあ、、
バレンタインデーに良い思い出がある男性はどれくらいいるのだろうか、、
1割とか2割くらいかな、、、
ま、ほとんどの男性は良い思いなんてないと思うけど、、
もちろん、ぼくも良い思い出なんてまったくない、、
高校生の頃は、バレンタインデーにどういう態度で学校へ行けばいいのか、
いろいろ難しい問題があった、、、
おれはバレンタインデーなんて気にしてないぜ、という
態度が大前提となるが(もらえないことを自覚しているからね、、)、
それもやりすぎると不自然で、逆に意識しているのがばれてしまうし、
そのバランスが非常に難しいのである、、、
ほんと、こういう日を設けるのは、思春期の男にとって酷だなあと思う、、
心穏やかに過ごしたいだけなのに、余計なことに気を使わせるなよ、まったく、、、
その日は、女子から声をかけられただけで、びくっとするじゃないか、、
そういえば、高校生の頃、母親がチョコレートを笑いながらくれたこともあったなあ、、、
どうせもらえないだろ、お前は、、みたいな感じで、、、
そのときは複雑な心境だったけど、今では良い思い出といえば良い思い出だ、、、
自分が大学、社会人となるにつれて、
だんだんバレンタインデーの意味も変化してきた、、
贈る側も受け取る側も、その日にそれほど大きな意味を見出しておらず、
ひとつの儀式?、、あいさつ程度な感じになった、、
それでも、チョコレートをもらえるとうれしいのは、なぜなんだろう、、
人間の、というか、男の根源的な部分に触れるものがあるからかもしれないなあ、、
業界新聞に勤めていたころ、
事務所の前にあった喫茶店によく行っていた、、
バレンタインの日に行くと、コーヒーに小さなチョコレートがついてきた、、
それを今、すごく懐かしく思い出す、、
それくらいの距離感というか、接し方が一番いいなと思う、、、
あ、そうそう、大学の頃によく行っていた喫茶店でも、
その日にチョコをくれたな、、、
うん、あれはいい感じだった、、
高校の友人が仙台の大学に入学して、一度遊びに行ったことがある。
そのとき、その友人の大学の友人も一緒に会ったんだけれども、
その友人の友人が垢ぬけててなあ、、、
やさおとこ的な感じというか、
サングラスをかけていて、新聞を脇に挟んで、クールにほほ笑んで、、、
友人が言うには、
その友人の友人は、高校時代は段ボールいっぱいのチョコをもらっていたらしい、、、
まあ、まあ、そう言われれば、そうかもしれないなあ、と納得し、
どんな高校時代を送っていたんだ、とぼくには想像できなかった、、、
段ボールいっぱいチョコをもらう気持ちって、どんなんなんだろうか?
ま、高校時代にもてていたって、社会人になると評価軸ががらりと変わってしまうからな、、
この先ももてるとは限らないぜ、ふふ、
とぼくはその時思っていた、たぶん、忘れちゃったけど、、
あの彼、今はどうしているのだろうか、
どんなふうに暮らしているのだろうか、、
(画像はAIによる)
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