吾輩は猫である

猫を飼っている人とか、猫にたまらなく愛着を持っている人は多いと思うけれども、
ぼくはそれほど猫が好きというわけではなかった、今まで、、、
でも、家で猫を飼うことになって、一緒に暮らし始めて何年だろう、、
3、4年かな、、
家の中にいる猫を見ていると、やっぱりほっこりほほ笑む自分を発見する、

そういえば、小学生の頃、短い間だけれども、猫を飼っていたことがある、
名前は、、確か、、みゃーこ、だったような、、、
記憶があいまいだけれども、いつの間にかいなくなっていたから、
母親がどこかに引き渡したか、どうにかしたのではないかと思う、
みゃーこが、いなくなったときの気持ちを思い出そうとしても、思い出せない、、、
きっと寂しかったはずだが、、、
以来、ペットを飼うような暮らしをしていなかった、、、

ちょっと前、将棋の加藤一二三さん(ひふみん)が猫の悩みを解決する番組をやっていた、
NHKだったかな、、、今もやっているかもしれないけれども、
ひふみんが猫の顔をじっと見ながら、
うん、うん、そうか、そうなの、、と真面目な顔でうなづいている姿を見て、
この人は本当に猫と話をしているのかもしれない、と思った、、
やるな、ひふみん、さすが名人、

今朝、通勤途中、広小路通り沿いのちょっとしたスペースに
薄茶色の猫がちょこんと座っていた、
じっと車が通るのを見ている、

猫と暮らすようになって、もっとも心惹かれるのは、
すごく礼儀正しく座り、
また、きちんと足をたたんで休み、
さらに、正しく丸まって眠る姿である、

自由気ままなツンツンした娘のくせに、
いつも、ちゃんと正しく正座し、
また、きちんと横になるその姿に、
一瞬、心を奪われる、、、

そんな姿を見た時には、
すごいなあ、ミルク(うちの猫の名前)と、
きゅんとした気持ちになる、、

今朝、広小路通り沿いにいた猫も、
背中はきれいなカーブを描いた猫背だけれども、
足を揃えて、きちんと座っていた、

なんなんだろうなあ、
猫のこういう礼儀正しさの源泉はどこから来るものだろうか、
やっぱり覚悟のようなものを持っているとしか、
ぼくには思えないんだよなあ、、
生き物としての生きる覚悟、いや、死ぬ覚悟といった方がいいかな、、

夏目漱石は、吾輩は猫である、と書いた、
それは、やっぱり、
覚悟を持った生き物だからこそ、
発することができる言葉だという気がする、、

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