先週末、京都へ行ってきた。
ちょうど桜の時期だからかどうかは知らないが、
京都駅は外国人だらけで、
とにかく外国人は京都が好きだな、というのがよくわかった。
20代の頃、よく京都に遊びに行っていた。
友人の陶芸家の斎藤君がいたから。
といっても齋藤君は長岡京だったけど、
よく一緒に京都で飲み歩いたりしていた。
20代の頃なんて、ぜんぜん楽しくなかった。
ぼくの頭の中では、そのように記憶されているが、
でも、振り返ってみると、たまには楽しいこともあったのかもなー
と気づいたり、気づかなかったり、、、
今回は、西陣織の有限会社フクオカ機業の福岡さんに
新しい試みについて話を聞いてきた。
西陣織は絹織物なんだけど、福岡さんのところでは、
カーボンとか再生ペット糸とかガラス繊維などを使って布を織るといった
新しいことに挑戦している。
カーボンや再生ペット糸で織った布を使ったスニーカーとか帽子とか壁紙とか。
西陣の文様が新しい商品として広まることで、
本来の西陣織の魅力を知ってもらいたいと、
福岡さんは言っていたけど、
ぼくはそこの言葉にピンとこなかった。
ふーん、という感じ。
だけど、後で調べていて、気がついたんだ。
西陣織は染めた文様ではなくて、織ることで文様をあらわすことに。
西陣織が西陣織たるゆえんは、織った文様であるということに。
あ、だから、福岡さんはあんなに文様にこだわっていたんだな、、
福岡さんにとって、大切なことを話していたんだな、、
過去の出来事は変えられないけれども、
解釈は変えることができる。
ぼくの20代も楽しかったときもあったと認識し直したり、
ある言葉の重要性に後で気づくこともある。
それは過去を変えられると同じ意味なんじゃないだろうか。
たぶん、きっと、過去は変えられるんだ、、、