先日、サイクリング途中にセブンイレブンに立ち寄って、
イートンスペースでホットコーヒーを飲んだ、、
その店のイートインスペースは結構広くて、、
壁には小学生または幼稚園児の絵や作文がたくさん飾られていた、、、
この近くの学校の展示スペースとして貸しているのかなあ、、
なんて思って見ていると、
どの絵も作文も同じ名前なのであった、、、
ということは、これは一人の子どもの成長記録みたいなものか、、、
幼稚園から小学生低学年くらいまでのね、、、
ということは、おそらく、このセブンイレブンを経営している家族の子どもなんだろうなあ、、、
ということは、さっきコーヒーのカップを手渡してくれた若者の子どもか、、、
ということは、その隣りのレジにいた若い女性がお母さん、、、、
ということは、、、、
ぼくは、そんなふうに、ということは、とずっと考えを遡っていったのである、、
そのとき、一枚の短い作文に目がとまった、、、
おとうさん、おかあさん、
いつもむかえにきてくれてありがとう、
しょうがくせいになったら、べんきょうがんばります、、、
それを読んだときに、一気に、ということは、と遡っていた考えが今度は逆流して、
レジにいた男性と女性が出会い、結婚して、子どもが生まれ、
それからコンビニを経営するようになって、
その子どもが幼稚園へ行くようになり、
毎日、どちらかが幼稚園に迎えに行き、卒園式に出席して二人とも泣いて、、、
あんな小さかった子が小学生になるんだと二人で話し合っている姿が
瞼に浮かんできた、、、
そしてお父さんが、自分の子どもの成長記録として、
このイートインスペースに作文や絵を飾っている姿の映像も、、、
ここにもそんな暮らしがあるんだなあ、とちょっと涙ぐんでしまった、、、
セブンイレブンのイートインで涙ぐむとは思わなかったぜ、、、
そのあと、再び、ぼくは自転車のサドルにまたがって、
坂道を登っていった、、、
それから自分のことを少し振り返った、、、
ぼくもいつも保育園に息子たちを迎えに行っていたなあ、、、
その頃はまだ、お父さんが迎えに来ることは少なくて、、、
ぼくくらいしかいなかった、、男は、、、、、
卒園式ではなぜか涙が止まらかったのを思い出した、、
小学校の卒業式よりも保育園の卒園式のほうが、、
ずっと胸に来るものがあった、、、
小学生の高学年にでもなれば、みんな生意気になるからなあ、、、
と、いつまでも昔を振り返っていても仕方がないが、、、、
うちで飼っている猫は今、4、5歳くらいかな、、、
最近、腎臓が悪くて、、チュールをあげるときに薬も一緒に混ぜているんだけれども、、
スプーンにチュールを少し乗せて、それをあげて、猫がぺろぺろと舐めている姿を見ていると、
そういえば、下の子が赤ん坊だったころ、
抱っこしながら、、水をスプーンで汲んで、、それを口へ運ぶと、、
ごくごくと音がするぐらいに水を飲んでたなあ、、と思い出した、、
赤ん坊にとってスプーン一杯の水が、、、
ぼくらにとってのコップ一杯の水であることを、
あの時、実感した、、、
水の量は違っても、、
誰にとっても、そんな一杯の水が必要だし、
ぼくらはそんなふうに育てられ、育ってきたんだよな、、、
(画像はAIによる)
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