
シンプルだけど、とても美味しかった
名古屋の松坂屋にキャンティがあった
――名古屋にキャンティができたのはいつなんですか?
永田 えっと、オープンから3年ぐらい経って、、ぼくが19歳ぐらいの時に入ったんだから(調べてみると、、1971年10月開業)、、、あの松坂屋の新館内にオープンしたんです、、イタリアンの店として、当時としてはすごい珍しかったですね、、しかも、ウェイティングバーがあったんです、、
デパートなのに、入るとカウンターがあって椅子もあって、カクテルも飲めるウェイティングバーなんです、、そこで待つのもいいし、案内してもらってテーブルに行くのもいいし、、お金はかかってましたね、、
――へえ、その時代、、珍しかったでしょうね、
永田 当時、スパゲティが150円か200円ぐらいで食べられた時代なんで、、、
キャンティは安いのが600円ぐらい、高いのは1000円近くだったと思うので、結構いい値段ですね、、、
――お客さんも、ちょっとおしゃれして、「今日はキャンティ行こうか」みたいな感じだったんですかね、、、
永田 まあ、そうですね、出る料理は、、スパゲティが多かったですけど、、ピザもやってました、、、
――働いてる方は何名ぐらいいらっしゃったんですか、当時、、、
永田 コックだけで12人ぐらいいたと思いますよ、、そのうち見習いが2人ぐらい、ぼくは、そこで見習いみたいな立場で、、最初はね、、
――やっぱり厳しかったですか?
永田 みんな、、続かないんですよ、ぼくは割合続いた方だと思うんですけど、、、
朝8時に行くと、、まず朝の仕込みをやって、、僕はピッチャー(パン担当)をやってるんで、パンを1回仕込むんですよ、、、それもお昼ですぐなくなっちゃうんですけど、、、
その後、ソースの匂い出しとかもやって、それが終わったらラインをやって。あとはシンクが1個あって、そこに洗い物がどんどん入ってくるんですよ、、ただ洗うだけじゃないんです、業務用のアルミの鍋があるんですけど、1回洗うとそれを全部磨くんです、毎回、、、
(ここでちょっと説明が必要なので、付け加えておくと、ピッチャーとは、パティシエの業界用語であり、要するに永田さんはパンの製造や仕込みを担当するポジションを任されていたということである、また、「ソースの匂い出し」とは、キャンティの名物である「スパゲッティ・バジリコ」において、加熱によってハーブやにんにくの香りを最大限に引き出し、オリーブオイルへと移す工程のことを指す)

お客さんが多いときは大変だろうなあ、、
――毎回ですか?
永田 毎回磨くんですよ、、洗い物やってるうちに、先輩たちは掃除をするんです、仕込みで汚れたところを全部きれいにするんです、、それが終わると朝ご飯を、みんな食べるんですけど簡単なもんです、、そこからランチが始まって、ランチ終わるとまた山のように鍋があるから、また磨く、毎日磨くんですよ、、
「ボンスター」っていうスチールたわしみたいなのがあるんですけど、それに洗剤つけてこすってピカピカにするんです、、ランチが終わったらまた仕込みをやらなきゃいけない、、あまり仕込みがなくて暇だったら休憩してもいいよってシェフが言うんで、ちょっと休憩したりするんですけど、そうじゃない限りはずっと働いてます、、、1日3回ぐらい掃除するんです、、終わってまた洗い物やって帰る、それを毎日繰り返します、、
――確かに、それだと辞めたくなります、、
永田 ぼくは割と続いた方ですけど、、それでも途中でちょっと嫌気がさしてやめました、、
――キャンティには何年ぐらい働かれたんですか?
永田 1回辞めて、また戻って、合計5、6年ぐらいですかね、、

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