先日、久しぶりに画家の松永賢と名古屋の繁華街である栄で
チェーンの居酒屋で飲んだ、、
土曜日の栄の夜に出向くことはほとんどないのだが、
このあたりはよくわからない若者たちで溢れているんだなあというのがよくわかった、、
よくわからないというのは、何をやっているのか想像できないという意味である、
土曜日で仕事が休みだからというのもあるかもしれないが、
こやつらがスーツを着て会社に通勤している姿を想像するのは難しいのである、
そうかといって学生というわけでもなさそうである、、さらに、日本人か外国人かもよくわからない、、
まさによくわからない人間たちなのであった、、、
よくよく見れば、男も女もたいした顔をしていない、
ま、それはいいとして、問題は扉である、、、
土曜日の栄は人で溢れていて、どの店も満員でなかなか入ることができなかったのだけれども、
チェーン店の居酒屋だけはなんとかすぐに入れそうだったので、
まあしょうがないかと、ここで許してやるかという気持ちで入った、、
案内された席は出入り扉の近くだった、、
その日の夜はけっこう冷えて、人が出入りするたびにひんやりとした空気が入ってきた、
ぼくと松永賢が入ったころはまだ店内には空席があったのだが、
しばらくすると満席となり、そのあとも次から次へとお客が入ってきて、
ふたりだけど、、、と店員に話しかけては、すいません、今満席で、、、と断られるようになった、、、、
そのたびにひんやりとした空気が入ってくる、、
そこで問題の扉である、、
入ってきては断られた若者たちは、普通だったら、扉を閉めて外に出ていくはずであるが、、、
ほとんどの輩が扉を閉めずに外へ出て、どこかへ行ってしまうのであった、、、
最初のうちは、ちゃんと閉めてくれよ、と文句を言いながら、
近くのぼくが立ち上がって閉めたりしていたのだが、、、
あまりにも頻繁に閉めては開けっぱなしが繰り返されることとなり、
もういいや、どうにでもなれ、寒いけど、、とあきらめた、、、
なぜ、あやつらは扉を閉めないのか、、
まずひとつに、その店の扉は引き戸で、横に引いて中に入って、さらに引いて扉を閉めるという動作が必要である、
そういう引き戸に慣れていないということはあるかもしれない、
しかし、それくらい気付くはずである、、
また、最近はどこも自動扉になっているから、それに慣れて、勝手に閉まるものと思い込んでいるとか、
ひょっとすると寒いと感じているのはぼくだけで、
まわりの若者たちはそんなことを感じておらず、むしろ暑いと思っているから親切心で開けてあげているとか、
いろいろ考えたのだけれども、
あのちんけな顔の若者が親切心を持っているとは思えないし、
店内の若者がタバコを吸いに外へ出るときも開けっ放しにするから、
自動扉と思い込んでいるというのも、そういうわけではないだろうという気がする、、
どうやら若者たちの間では、扉を開けっぱなしにする病が流行っているようなのだった、、、
その日、ぼくはそのように確信した、、
それから、さらに、ぼくは深く考察を続けた、、、
なぜ、若者たちは扉を開けっぱなしにする病にかかったのか、、
ひょっとすると、もしかして、若者はいまの世の中に閉塞感を常に感じていて、
そこから飛び出したいという無意識の願望を持っているのかもしれない、
普段の暮らしのなかではその願望を抑え込んでいるから、
ついつい土曜日の夜には、その願望がひょっこりと顔を出して、
開けっ放しの扉へと表現されたのではないだろうか、、、
そう考えると、なかなかかわいそうな若者たちである、、、
ぼくたちが若者だったころ以上に、今の若者は閉塞感を感じているのかもしれない、、
開けっ放しの扉は、あやつらの悲痛な叫びだったのだろうか、、、
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