立ち止まったままから「再開」へ  中村未生さん 直美さん

美術から食器へ

ーー未生さんと直美さんとは、どんなふうに出会ったんですか?

未生 妻は瀬戸の訓練校を卒業してから多治見市の意匠研究所へ行ったんですが、その入学試験でデッサンが必要で、うちの絵画教室に習いにきたんです。
父親は印刷屋をやっていて、で、夜逃げするぞって時に紙が残っていて、印刷の機械はあるから、徹夜でぼくの手書きのチラシを印刷して、それを手で配ったのが絵画教室のスタートなんですが、妻の友人がそのチラシを持っていてくれたんだよね、

直美 そう、私の友達がそれを持ってて、こういうところがあるよって教えてくれたんです。

未生 彼女が20代前半で、ぼくが27歳くらいだったかな、

直美 うん、それくらいかも、

ーーお二人は、タイプがぜんぜん違いますね、

直美 はい、違うんです(笑)、
うちの父も会社をやっていて、お金って、あってもなくなるんだなと、父の人生を見ていて学びました。だから、生きていくバイタリティを持っていることって大事だなと思って、、、
夫から自己破産して、そこから立ち直って、という話を聞いて、あー、いいかもしれない、と思って(笑)、、

以前、直美さんがつくっていた作品。これは一輪挿しかな

未生 妻と出会う前、夜中までアルバイトをしたり、人にあまり言えない生活をしていて、、、付き合い始めてからは、こういう人生は良くないな、ちょっと真面目にならないといけないなと思って、そこからは真面目になった気がします。

ーー直美さんは、意匠研究所を卒業後はどうしたんですか?

直美 土岐市のマルダイ製陶に3年勤めて、その間、結婚をして、土岐市で家兼作業場を借りて、個展などで作品を発表していました。その頃、夫はあちこちの絵画教室で教えていたので、住むのは土岐市でも大丈夫ということだったので。土岐市には8年間住みました。
 それから、春日井のここへ越してきて、最初は七輪で焼いて作品をつくっていました。子どもが生まれて、なかなか動くのが難しかったので、家でできることってなんだろうと考えて、七輪陶芸だったらできそうと思ったんですね。

ーーその頃の作品がこれですか?

直美 これは子どものお尻。

こちらも以前の直美さんの作品。子どものお尻

ーーかわいい、、、(ここで直美さんがコーヒーを淹れる準備のために退席)。
  未生さんから見て、直美さんの作品は、再開前と再開後で、かなり変わりましたか?

未生 以前は、もう少し美術的な人だったんですけど、育児が終わって、いま、再開してみると、食器ばかりになって。考え方が大きく変わったんだなあと思っています。以前は、食器はぜんぜんつくっていなかったんです、

ーー未生さんの影響もあったのかもしれないですね、

未生 あったのかもしれないですね。
活動再開したのは1年くらい前からなんですが、、とくになんの相談もなかったです(笑)。
再開したのは、子育ても落ち着いて、今しかないと思ったんでしょうね。
ぼくらはキリスト教徒なんです。彼女はキリスト教の家庭で育っているんですが、ぼくは彼女と付き合うようになってから教会に通うようになって、はまってしまって、結婚する前に洗礼を受けました。ぼくが今、描いている絵は宗教画に近いものだと思っています。
彼女が活動再開をしようと思った一つのきっかけは、キリスト教の信仰も影響していたのかもしれませんね。

(直美さんがコーヒーとともに戻ってきた)

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