名古屋陶磁器会館物語 不思議で魅力的な人たち

ぼくが勤めていた陶磁器産業の業界新聞には、
不思議で魅力的な人たちが、ちょくちょくやってきた、

顔と体と足の長さ・大きさが1対1対1という比率のテエイさん
このテエイさんが具体的にどんな仕事をしていたのか
よくわからないけれども、
たぶん、食器の輸出に関わっていて、
ものを右から左へと流すブローカーのような役割を果たしていたと思われる、

食器やタイルというと、デザインに注目が集まることが多いけれども、
それを扱う人たちにとっては商材にすぎない、
とくに輸出関係の商社は、その傾向が強い、
なぜかというと、最大の市場であるアメリカにおいて、
日本製の食器は安価な実用品として輸出される場合が非常に多いからだ、
また、たとえば、ガソリンスタンドで渡す景品という場合もある、
現在、100均で販売されている食器のような立場と考えればいいだろうか、
そういうものはデザインよりも、
価格と量、納期といったことが重要になるわけで、
そこには、テエイさんのような人物が間に入って暗躍する余地が十分にあるのだ、

もちろん、これは当時の話で、
今、日本の食器は、そんな商材としての魅力はなくなってしまっているが、、
あの頃はまだ、それで一儲けできる時代だった、

名古屋製陶所で工場長をつとめていたイマイマさんも
不思議なおじいちゃんだった、
ふらっとやってきて、しばらく雑談をして、帰っていったけれども、
なんとなく、かわいらしい面があるなあと、ぼくは思っていた、
今思えば、もっといろんなことを聞いておけばよかったと後悔している、

名古屋陶磁器会館の近所の輸出商社のササササさんも、
なんかユーモラスな感じの人だった、
冗談なのか本気なのかわからない話をしながら
ぼくのような若造にも、丁寧にあいさつをしてくれた、
かつては名門の商社だったから、
育ちが良くて、お人好しな面があったのかもしれないなあ、、

それとやっぱり、理事長のイモイモさん、
名古屋陶磁器会館発行の東区の地図を
ぼくが制作することになって、
その打ち合わせを重ねたんだけれども、
よく怒られたなあ、、
1階の組合職員はイモイモさんのことを恐れていたが、
今から思うと、あの時代には、
イモイモさんは理事長にふさわしい人物だったと思う、

イマイマさんも、ササササさんも、イモイモさんも、
すでに亡くなっている、
テエイさんはどうだろう、元気なのだろうか、
かつて名古屋陶磁器会館には、
一癖も二癖もある人物が出入りをしていて、
その周辺を含めて猥雑で怪しい雰囲気が漂っていた
現在は、かなり小奇麗になってしまったが、
なんだか、それがちょっと寂しい感じがする、、



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