感謝の気持ち

「ありがとう」という言葉について考えていたとき、
母親から「ありがとう」とよく言われていたし、
息子たちからも「ありがとう」とよく言われることに気づいた、、
ぼく自身はこれまであまり「ありがとう」という言葉を使ってこなかったんだけど、、、
それは結局のところ、感謝の気持ちがなかったからではないだろうか、、、

仕事上のメールのやり取りの中で「ありがとうございます」という言葉は使っていたが、
それは単なる挨拶みたいなもので、
感謝の気持ちから、というか、感謝の気持ちを土台とした「ありがとう」ではない、、、
そんなことを考えていたら、
これまで生きてきて、感謝の気持ちを伝える言葉として、
心の底から「ありがとう」という言葉を使ったことはないのではないか、
なんかそんな気がしてきた、、、

自分はこれまで感謝の気持ちを持たずに生きてきたのではないか、
はたしてこれはいいことなのだろうか、、、
いや、許されることなのだろうか、、、
うーん、、、わからない、、、

いや、そもそも、人は感謝をせずとも生きていくことができるのだろうか、、

寝ころびながら、そんなことをつらつらと考えてみた、、
そうしたら、なんと、驚くことに、、、
もしかして、人は感謝せずとも生きていくことができる、、、
という発見をしてしまったのである、、、
これは感謝なんてする必要がないという意味でなくて、、、
感謝せずとも生きているなあ、、という驚くべき発見に、はっとしてしまったということなのである、、、

たとえば、空気を毎日吸って吐いていること、
太陽が毎日昇ってくること、
夜に星が輝くこと、
花が咲くこと、
自分の足で歩けること、
朝、目が覚めること、、
こういったことに感謝せずとも、
おそらく人は生きていけるのである、、、

なんと驚くべきことだろうか、、、

人と話ができること、
人とぶつからないで歩いて行けること、
相づちをうってもらえること、
話を聞いてもらえること、
電話ができること、
メールのやり取りができること、
こんなことにも、とくに感謝をせずとも、
人は生きていける、、、、
「ありがとう」と言わなくても、生きていけるのである、、、、

実際、そういう人はたくさんいるのではないだろうか、、
ぼく自身も含めて、、、、
いや、まいったね、、
じゃあ「ありがとう」という感謝の言葉は、何のためにあるのか、、

これが不思議なことに、
「ありがとう」という感謝の言葉は生きていくためにあるのであった、、、
「ありがとう」という言葉なしに、生きていけるとは思えないのである、、
なんだ、この矛盾、、、、

結局、「ありがとう」という感謝の言葉は、
自分がちっぽけな無力な存在であるという諦め、自覚を経たその先で、
発せられる言葉なんじゃないだろうか、、、
自分が強大な力を持ち有能であると思っているかぎり、、
心の底から「ありがとう」という感謝は生まれないような気がする、、、
その自覚のない場合、感謝なんてものはなくても生きていけるのである、、
もちろん、それは錯覚に過ぎないんだけどさ、、、

だって、この世の中に、
ちっぽけで無力でない人なんて、一人もいないんだから、、
すべての人がちっぽけで無力なんだから、、、

やっぱ、「ありがとう」という感謝の言葉なしに、生きていくことなんてできないのである、、、

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