自転車で通勤途中、東別院あたりで中学生の女の子とすれ違った、、
女の子は振り返って空に向かって手をふった、、
その空をちらりと見上げると、、3階建ての家の3階のベランダから、、、
すごい満面の笑みのおじいさんが、大きく手をふっていた、、
晴れ渡った青い空をバックに、、
すごくうれしそうな白髪頭のおじいさんが、左右に大きく手をふっている、、
白い歯が所々抜けている、、
ほんとうれしそうだな、、
孫というのはどんな存在なのだろうか、、
ぼくはまだいないからどんなものかわからないけれども、
ある意味で親よりも無責任にかわいがることができるから、きっとたまんないかもしれない、
新堀川を抜けて鶴舞公園へ向かう途中の交差点で、、、
お母さんと小さな女の子とおばあさんが三人で写真を撮っていた、、
信号が青に変わると、、女の子はお母さんに抱っこされて信号を渡っていく、
おばあさんは信号を渡らずに、、、その場にとどまっている、
女の子は抱っこされながら、、一人残されたおばあさんに手をふっている、、
お母さんは進行方向を向いているから、おばあさんの姿を見ることはできないけれども、
女の子は抱っこされているから、おばあさんの顔がよく見える、
抱っこされながら手をふる女の子がかわいい、
おばあさんも小さく手をふりかえしている、
満面の笑みである、、
やっぱ孫はたまらなくかわいいんだろうなあ、
ぼくの心臓はややくたびれてきているから、、ペダルをこぐと、ちょっと息切れしてしまうけれども、
あんな女の子が手をふってくれたら、張り切ってペダルをこいでしまうな、、、
そうすると心臓に負担がかかって、ころりと逝ってしまうかもしれない、、
まあ、それはそれで本望だけど、
でもさ、最近、ぼくはこの世界がまぼろしなのではないかと感じはじめている、、
ぼくがこの目で見ている世界、手で触れる世界というのは、、、ほんとうにあるのだろうか、、
あのかわいい女の子が手を振っているのも、、、
なんかまぼろしような、そんな気がする、、
どうしてそんなことを思うようになったかというと、、
つい先日、小学生になったばかりでランドセルを背負って小学校に通っていたはずなのに、、、
いつの間にか心臓がくたびれたじじいに成り下がってしまったからだ、、、
この間なにがあった?
ぼくのなかではとくに変化があったようには思えないのである、、
孫たちに手をふっていたおじいさんやおばあさんも、
きっと自分がランドセルを背負っていたときと現在に大きな変化があったとは感じていないはずである、、、
そりゃあ外見は多少変わってしまったけれども、
心の中は小学生のまま、、きっとそうに違いない、、
手をふり返しているのは孫の娘ではなく、自分自身に対してふっていたのかもしれない、
小学生だった自分自身に対して、、、
それにしても、お金に縁のない人生を送てしまった、、
なんとかならないもんかね、と思うが、これがなんともならないから笑えるのである、、
お金があれば、あれもできるし、これもできると考えることがあるが、、
それもこれもまぼろしだから、まあ、いいいか、とも思う、、、
(画像はAI)
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