ひとり歌う白髪の老婆

朝、自転車通勤途中、
鶴舞公園を通り抜けながら、気持ちよく走っていると、
空き缶をいっぱい積んだ自転車のそばで
公園のベンチに座っていた白髪の老婆が、
ひとり、大きな声で歌を歌っていた、

太っ~た女は~体がブス~
なんという歌だ、、、
いや、歌とは呼べない、、
何かにとりつかれた白髪の老婆が
気がふれたような、
朝のさわやか空気とは全く異質な、
そこだけ違った時間と空間が流れているような、

そこで、ぼくは思い出した、
数日前のコンビニでの出来事を、、、
ぼくがまだ清算の作業をしているところを押しのけて
割り込んできた白髪の老婆のことを、、
夜の9時に、あのガリガリ君ソーダを21本も買いに来た老婆のことを、

ひょっとして同じ人物なのではないだろうか、、

姿格好はよく似ている、
顔も似ているといえば似ている、

平和な普段の暮らしのなかで、
このような人物に出会うと、
見慣れた世界が、ある裂け目から、
別の貌をのぞかせ、
ちょっとハッとさせられるというか、
ゾッとさせられるというか、
心がざわざわするというか、、、

岡田斗司夫さんのYouTubeをたまに見るけど、
彼は、ホワイト社会という言葉を使って
今の世界の変化を説明している、、
むき出しの怒りとか非難とか差別とかを、
表現することが許されない世の中になっている、
本能のような怒りがなくなったわけではないが、
それを表現すると孤立を招くことになる、、
だからみんな表面上は、穏やかで優しい対応を心がけることになる、、

そんな世の中で、
この白髪の老婆は、当然、孤立していくことになるのだが、、
コンビニで割り込み、小銭を投げつけ、
大きな声で下品な歌を歌うその姿は(同一人物じゃないかもしれないが)、
わたしはひとりだ!
と力強く宣言してるような感じがした、、
そこには、悲しさや寂しさはない、
あるのは闘争心のようなものだ、

ホワイト化が進むなかで、
この白髪の老婆のような存在は、
無視すればいいのだろうか、
それで済むのだろうか、、
もし、済まないなら、
ぼくらは戦うすべを持っているのだろうか、、

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