スウェーデンのセテルグランタン手工芸学校へ
ほとんど何も知らない状態で飛び込んだセテルグランタン手工芸学校は、ストックホルムから北西に250㎞の針葉樹の森の中にありました。
授業は週に5日間、朝から晩まで森の中でした。
隣にある寄宿舎も森の中でした。
工房と寄宿舎が隣接していて、夕食後も好きなだけ課題に取り組むことができました。
この、生活のなかで布を織るというそのスタイルが、当時の倉井さんにピタリとはまったそうです。
一ヶ月余り夢中で布を織りました。織ることが大好きになり、スウェーデン製の大きな機織り機を購入して帰国しました。
後で振り返ると、スタートが海外の学校だったことはその先の仕事に大きな意味がありました。
織りを学ぶだけなら日本にもたくさん学校はあります。
和服の着尺(きじゃく)を織るための工房には卓越した作家もいます。
しかしそこには日本的な徒弟制度や作法がありました。
伝統がある国だからこそ、新しいことを始めたい人にとってのハードルは低くないのです。
タペストリー織の作家が「海外から始めるといい」と言ってくれたのは、倉井さんの将来を見据えた卓見でした。
バンクーバーのギルドに参加
スウェーデンから帰国してまず取り掛かったのは英語の習得でした。
「織りは二の次、一番は言葉だ。」と思いました。
海外では言葉がわからないと何も始まらない。
なけなしの貯金を全部投じて英会話教室に一年分の払い込みをし、仕事は非正規雇用を選択しました。
織る時間を最優先したかったからです。
それでも仕事は段々と忙しくなっていきました。
非正規雇用から正規雇用に昇格し、織りの時間はほとんど取れなくなっていきました。
ちょうどその頃、英会話教室がご縁となって米国人のパートナーを得ました。
29歳の時、パートナーについてカナダのバンクーバーへ行くことになりました。
「今度こそ織れる」と思いましたが、パートナーが学生の身分だったため、倉井さんが働くことになりました。
慣れない外国で、旅行会社、結婚式のアシスタントなど様々な仕事を経験しました。
そのような中でもどうしても織りたくて、現地の織りのグループGVWSG(Greater Vancouver Spinners and Weavers’ Guild)に登録しました。
このギルドは北米全体を網羅する大きな団体でした。
協会員になるとワークショップ形式でいろいろな人からいろいろな技法が学べました。
出会ったばかりの他人に自分の技術を惜しげもなく伝授してくれる開放的なお国柄にびっくりしました。
ギルドを通じて現地の日本人とも知り合い、織りで人につながる感覚を覚えました。
バンクーバーから帰国した後も生活を支えるために働きましたが、織物への情熱は消えませんでした。
この頃名古屋市内の古いアパートを改築した店で、陶芸家と一緒に自分の作品を売るスペースを持ちました。
夏休みを利用して、セテルグランタン手工芸学校に再び学びに行きました。
(スウェーデンへはこの後2005年、2017年と合計4回の講習に参加しています。)
観光でタイを訪れたのはそれから数年後でした。
タイで古布に出会い、チェンマイ大学のパトリシアにメールを送り、返事がきて、悩んだ末単身チェンマイへ行くことを決心しました。
チェンマイには約8ヶ月滞在します。
倉井由紀子 旅する布 ~みんなちがっていい~ 展 より