倉井由紀子さんの仕事    ハセガワトモコ

タイ、ラオスの多彩な織物

倉井さんが出会った織りの種類を羅列してもらいました。

山岳少数民族のカレン族の綿、大麻の地機(じばた)織り、経絣(たてがすり)。
モン族の臈纈(ろうけつ)染め。
リス族の綿、幅狭(紐)地機織り。
ルア族の綿地機織りと経絣。
カム族の葛(ピエット) 編み。
タイ、ルー族の綿、綴れ織り、横紋織り。
タイユアン族のティンジョク(横紋織り)、タイプアン族のティンジョク(横紋織り)、ラオクラン族の絹と綿の縞平織り、絹の絣織り、横紋織り、プータイ族の絣織りと横紋織り、ラオスのタイダム族の絹、横紋織りと絣織り。
タイデーン族の絹、経紋織り、絣織り、横紋織り。
レンテン族の藍染(後染め)、平織り。
ミャンマーの綴れ織り(ルンタヤアチェーク)。

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(1)ラオス バーンナヤンルー族の横紋織り
(2)ラオス 経紋綜絖(たてもんそうこう)を使った、典型的な織機

枚挙にいとまがありません。
現地では織った布を腰に巻く「シン」という民族衣装がありますが、このシンのための複雑な織物に民族性がはっきり出るといいます。
タイ、ラオスの離れたところに住んでいても、民族が同じだと、同じ技法の織物を織っていて、ルーツがわかるということがあるそうです。

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(3)
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(1)(2)(3)は、ラオス バーンナヤン ルー族手紡ぎ綿 もじり織り、綴織布(倉井さんが一反をすべてオーダーしたもの)
(4)(5)は、倉井さんがタイ、チェンダオのリス族の紐織をオーダーしている風景。持ち込みの糸を見せ、布(紐)を見ながら柄や色などを指定。それを自分もメモする

個展のスタート

2000年初めての個展を名古屋で開きました。
倉井由紀子さんのStudio Bunrinはここから始まりました。

個展は、翌年には2回、翌々年には4回と少しずつ増え、2005年からは一年に8回という今のスタイルになりました。
タイ、ミャンマー、ラオスの産地を巡り、織りの依頼をします。
それぞれの民族の織りを混ぜないことを鉄則にしています。
各々の伝統的な織りを崩さないようにしながらも自分のセンスは入れるようにしています。
今に合わなければすたれてしまうと思うからです。

綿の手紬がいいとわかっていても分厚い布は最近の日本の気候に合わなくなってきました。
経糸を一本ずつ抜く、糸の通し方を変えるなど織り手の自分だからできるアドバイスをします。
約3ヶ月後にまた訪れると布が織りあがっています。
支払いはその場で織り手に現金を渡します。
値段交渉はせず、相手の言い値を値切らないことにしています。
作り手に対して値段は下げたくないと思っています。
間に人が入るとマージンを取ります。
それを省く分だけ織った人に還元したいのです。作っている人を守りたいのです。

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〈凝った織のスカートの例〉
(1)はビエンチャン近郊で織ったもの
(2)と(4)は、ラオス東北地方、サムヌアで織られたもの、難しい複雑な横紋織りのものは、大体サムヌアで織られている
(3)と(5)はビエンチャンの工房で、倉井さんがオーダーしたもの。古い布から復興させたような柄の織りをやっている工房で倉井さんが色柄を指定して織ってもらったという。サムヌアから出てきた、目のいい若い織り子だった と
のこと

織りあがった布はチェンマイへ持ち帰り、デザインを起こして縫製屋に依頼します。
布にぴったり合ったデザインがうまくいくと達成感があります。
布も服も自分の手で運びます。
倉井さんは布たちとバスに乗り、持てる限りの服たちと飛行機に乗ります。
発注から運搬までをほとんど一人で行います。
小柄な倉井さんのどこにそんな体力があるのだろうと思います。
なるべくたくさんの現金を織り子たちに渡したい一心です。

以前JICAの仕事(短期専門家派遣)を請け負ったことがありました。
それはラオスの村人の生活を向上するためのプロジェクトでした。
国と国の間で行われる国際協力という名の援助の現場を目の当たりにしてつくづく「末端はお金が潤わない」ことを知りました。
だから常に織り子の言い値で、現金で買い取ることを信条としています。

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