実を言うと、ぼくは今も青春の中にいる阿房である、、
今は何回目だろうか、、7回目くらいかな、、、
建築家といえばいいのか設計士といえばいいのか、よくわからないが、
とにかく建物を設計する仕事をしている柴田達志さん(A.S.Oスタイル代表)とは、
20代の終わりころに、名古屋陶磁器会館で出会った、、
その頃、柴田さんは、同じく建築家の中山則和さんとふたりでASO設計事務所を開設したばかりで、
ぼくは、心の中に闇を抱えながら、陶磁器産業の業界紙に勤めはじめたばかりだった、、、
その頃、柴田さんと中山さんの設計事務所には、たくさんの怪しげな若い男女が集まってきていたから、
ぼくもその中に混じって、一緒にいろんなところへ遊びに行った、、、
その時期が、ぼくにとって、第二か第三の青春時代である、、
その後、ぼくはフリーという立場になって、名古屋陶磁器会館を出てしまったけれども、
柴田さんは今も名古屋陶磁器会館に事務所を構えて、あの頃と変わらない姿で設計の仕事している、
テレビ朝日の人気番組「大改造、劇的ビフォーアフター」の匠として、
かなり有名になったから、ご存じの方も多いかもしれない、
本当なら、中山さんも一緒に話を聞きたかったけれども、中山さんは数年前に他界してしまった、、、
中山さんと二人で北アルプスの燕岳を登ったのが懐かしい、、、
今回は、、柴田さんと久しぶりに会ったので、なんとなく雑談をしてきた、、、
文・写真 小出朝生
今もあまり変わっていない
ーー柴田さんは、今年何歳になるんですか?
柴田 67なんだよ、、
ーー全然若く見えます、、
柴田 自分ではよくわかりません、、、ところで、、最近、音楽聞いてます?
ーー最近の音楽は聴いてないです、昔の音楽ばかりで、、
柴田 やっぱり、昔の音楽のほうが、ぼくにとってもいいわけなんですよ、、ピンク・フロイドを聴くと、高校の頃の、あのとき、あんなことがあったなあという感覚が蘇ってきて、、
今の日本のロックもいいんだろうけど、背景がないから、そこに自分の思い出がないというか、、、

ーー確かに、ぼくも同じです、、、
ところで、柴田さんが名古屋陶磁器会館にASO設計事務所として入居したのは何歳のときですか?
柴田 31歳ですね、、
ーーぼくが28歳か、29歳のときに、ここ(名古屋陶磁器会館)に来て、、、3階の陶磁器産業の業界紙へ入社して、、たぶん、ほぼ同じ時期に、ここに入ったという感じですね、、建築家として独立したとき、どんな感じでしたか?
柴田 まあ、ずっと、建築やってたんですよね、、大学から建築家になろうと思ってたんですよ、、そのとき、建築家というものをどれだけ理解していたかは別として、建築というフィールドで、自分が 活躍する姿というか、建築を面白がってる姿が、想像できたわけですよ、、
こんな面白いことしたいんだけど、と、発案するのが楽しかったというか、、、
ーーなんか建築という分野で、目指すものがあったんですか ?
柴田 建築物というよりも、建築物が作り出す行為というか、そこに集まって落書きしたり、壊したり、こんなことやったら楽しいと考えるのが面白かった、
今でも、その辺はあまり変わってないんだけど、お客さんと話しながら、なんか家で楽しいことしない? と、、提案するのが楽しいというか、、
ーー面白いことをやる、楽しい提案をする、というのはわかるんですけど、建築家として独立することに対する不安はなかったですか?
柴田 今月お金入らなかったら、この部屋、出ていかないといけないんじゃないか、みたいな状況は当然あったけど、、バブルの残り香というか、それがまだあって、真夜中に仕事の話の電話が来るみたいなことがあったりして、
不安ではあったけど、、とくに中山(則和)なんて心配性なんで、、、でも、僕は、いや、もうちょっと自信持ったっていいじゃないか、みたいな、、我々に仕事が来ないわけがない、というわけの分からん自信があって、、、とにかく元気であれば、きっと仕事は来るみたいな、、、まあ、、実際はむちゃくちゃ不安でしたけど、、
ーー中山さんと二人というのが、いいですね、、
柴田 そうだね、 一人じゃないっていうのがやっぱりよかった、、一人だと勘違いして、どっかわけわからない方向いっちゃうから、、ぼくが暴走するのを、彼がぐっと押さえてるという面はあったかも、、、
結局、ぼくら、あまりお金を使わないんで、、、飯も食わず、みたいなこともあったよ、、、次、設計料が入るのは4ヵ月先だよ、なみたいな、、、でも、結果として、ずっと無借金だったから、なんでだろう、、、仕事がなくなると仕事が来るし、なんだろうな、、、もう 35年か、、
独立当初は、社会的にも信頼が低かったけど、人一倍頑張って動いて、斬新なアイデアも提案してきたつもりだったけど、、その結果、お前らに頼むと言ってもらえることが多くなって、、、
独立して 5年も経った頃には、名古屋で一番仕事が多いんじゃないかと言われた、、全部お前らが仕事持ってくな、みたいな、、もちろん大きな仕事ではなくて、ちょろちょろした仕事だよ、、、でも、それがすごい気持ちよかったなあ、、


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