先日、岐阜市で飲み歩いたときに、岐阜には紙でできた大仏がある、という話題になった、、ちょうど大野さんの文を読んだところだったので、ああ、聞いたことがある、というか読んだことがある、、大野さんが書いてたなあ、、と思った、、今度見に行こうと思う、、それから名和昆虫博物館はテラコッタというタイルが使われた建物で知られているけれども、大野さんの絵のもとは昆虫だったんだ、、と知って、なんか感動してしまった、、そうか、そうだったんだ、、ということで、今回も前回に続いて、書は源仙さんとmayuzoさんである、、なんか対照的な字が、とても面白いと思う(小出)

日本三大仏の一つが岐阜に在ることは、案外知られていない。当地の者でさえ、知ってはいても拝観した人となると、ごく少数ではなかろうか。正法寺の岐阜大仏は、他の奈良・東大寺の大仏や鎌倉の大仏に、その大きさでは決して引けを取らない。にも拘らず全国区になれないのは、その作りに違いがあるからではないだろうか。他の二仏が鋳造であるのに対して、岐阜大仏は主に、竹と土と紙で作られている。骨格は木と竹、その隙間を土が埋め、その上から一切経の経典が幾十にも重ね合わされ、更にそこに漆が施され、最後に金箔が覆っている。鋳造に比較して安上がりに出来ているのだ。しかしそれは、莫大な金をつぎ込み、権力を誇示する為ではなく、少ない門徒の寺の和尚が、度重なる災害の被災者の追善を願って建立された仏様だからだ。奈良大仏の迫力と威厳はなく、鎌倉大仏の鼻筋の通った端正なお顔も持たず、まるで田舎のお母さんのような懐かしさ。微笑みを湛えたやさしい眼差しに見つめられていると、包まれるような安心感と幸福感が、心に満ちてくる。
日々拝観に訪れる人々に、紙の大仏様は右手にOK!サインを出して、優しく微笑んでくださるだろう。

岐阜公園内にある名和昆虫博物館は、日本初の昆虫博物館として広く知られている岐阜の名所である。子どもの頃からの虫好きの私には、たまらない魅力に溢れた虫、虫、虫が、決して広くはない館内にぎっしりと展示されている。今でも金華山登山の際に、必ず立ち寄ることにしているのは、虫たちが私の作品作りにおけるヒントを常々与えてくれているからなのだ。それぞれの虫の形、色、質感のどれを取っても、もはや人間の手の及ばない、神が与えた美の完成度と言っても過言ではない。画家に出来ることは、その完全なる美しさを、ただキャンバスに写し取ることであり、その模倣力とセンスが問われることとなる。創造とは、そのようなものだと私は思っている。私が、ブリコラージュ(器用仕事)の手法を常に作品作りの中心に据えているのは、そのような理由からだが、狭量で身勝手な自己主張をコンセプトなどと言って憚らない自称アーティストが、余りにも多過ぎる。彼らには、虫たちの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいものだ。
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