毎日がハイクデイ その4

今回はちょっと趣向を変えて、いつもの謎の書道女子のmayuzoさんではなく、このホームページを手伝ってもらっている二人に書いてもらった。ひとりは画家の松永賢。松永賢は、絵の具を自分で調合しているらしく、その過程で思いついたという。黒の絵の具をつくるときには、パレットの上で、「黒」がオイルと馴染むまで10分以上ヘラで練るそうで、その過程で、書いては練ってを繰り返した。なんか胸にグッとくるね、、、、。もうひとりは、グルメ旅とクラフトビールの取材でお馴染みのももさん。若い女の子のももさんの字と大野さんの俳句の組み合わせが、合ってないようで、合っている。その不思議な感覚にちょっとどきどきする。こんなふうに、いろんな人に大野さんの俳句を書いてもらうことを、これから、ときどきやっていこうと思う。もちろん、mayuzoさんの美しい書もお願いしていくので、これからもよろしく。(小出)

 このところ世は、キャンプブーム。で、ご多分にもれず、私もキャンプ道具を一式揃えている。但し私の場合は、キャンプと言うよりは渓流釣りでの野営。まだまだ体力のあった若い頃の話だが、源流の岩魚釣りにのめり込んでいた時期があった。五万分の一の地図から未踏の谷を探し出し、大物との遭遇を夢みて釣行を重ねていた。その日の釣りを終えた後は野営地を決め、日の落ちる前に焚火の火を起こす。釣った岩魚の塩焼きをむしりながらバーボンを口に運ぶ至福の刻。焚火の炎がゆらぐ度、火に照らされた顔が闇に浮かび、また闇へと溶けてゆく。炎の火を目に映しながら、炎のその向こう側の闇へと思いを馳せる。やがて闇が森のすべてを包み、とろとろと焚火の火が小さくなる頃には、もうすっかり孤独な男前に仕上がっている。

 二度の死線をくぐり抜けて来た。最初は肺結核の手術の時、十歳だった。肺の三ヶ所に空洞があり、このままではこの子は助からないと、母は医師から告げられたそうだ。岐阜県で二例目となる子どもの肺切手術で、成功率は五割。母はきっと祈る思いで決断したのだろう。二度目は十六年前の胃ガン。ステージ3の宣告を受けた。一度は死を覚悟したが、不思議に死ぬ気がしなかった。それは元来の楽天家と言うより、常に食べられる側の草食系人間だからと言った方が近い。私の命は私だけのものでは無いと言う、群れて生きる者が持つ特有の感覚。死の恐怖から逃れる為の、ある種の処世術とも思える。
 小児病棟で過した死んだ仲間の事を思うと辛く悲しいが、彼等のたましいは今も私の中で遊んでいる。私のたましいと一緒になって。

🔸大野さんの俳句は「たましひ」だけど、ももさんは「たましい」となっているのは、ももさんの解釈として尊重しました。

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