毎日がハイクデイ その2

 それは小さな新聞記事からだった。日本初の「絵本の学校」が東京に開校されると言うもの。当時私は大学を中退して郷里の実家でブラブラしていたが、絵本作家への夢は捨てがたくあり、迷うことなく再上京を決めた。
 昼は印刷工として働き、夜は受講生となって学ぶ毎日が始まった。四畳半風呂なし、共同便所の安アパート。私の部屋の隣りには母子家庭の親子が、その隣りの部屋からは大声で罵り合うアル中の父親とプータローの息子の怒鳴り声が聞こえた。部屋の真下はカウンターだけの小さな居酒屋で、おかみさんが毎日昼飯用のドカ弁を百円で作ってくれた。アパートの管理人さんも気立ての良い人で、遅れ気味だった家賃を催促する事はなかった。
 昭和の下町の暮らし。夢だけを食べて生きているような若者だった。

 家庭菜園を始めて十五年。毎年自宅の庭の一角に夏野菜を植えている。定番のナス、トマト、キュウリ、ピーマンなどなど、あれもこれもと欲張って、ぎゅうぎゅう詰めになってしまった畑を我ながら笑ってしまう。けれども元気な野菜はスクスクと、余り元気でないものもマイペースでそれなりに育ってゆくのを見ていると、不思議な幸福感に包まれる。しかし苦い体験も多々あって、たとえば弱々しいナス苗への水やり過多による根腐れや肥料過多による茎と葉の繁茂する実の成らない巨大トマト。テントウムシダマシなる害虫を益虫のてんとう虫と勘違いして放置し、全て食べ尽くされてしまったピーマンなども。とんまな素人百姓は、まんまと騙された訳だ。まあしかし、そんなこんなで今年も豊作を願っているのだが。

今回の俳句も散文も書もいいですね。
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