ぶどうづくりはやっぱりアナログなんだわ

3月の下旬、名古屋市守屋区でぶどうをつくっている金井農園の金井重斗さんに話を聞いた、、
全国的に見ても、愛知県はぶどうの主要産地で、東浦町、大府市、岡崎市などで栽培されているけれども、
名古屋市内もぶどうは緑区や守山区でたくさん栽培されている、、
ぼくが住んでる守山区は広い丘陵地で、名古屋市内でありながら緑が多い地域である、、
東部の東谷山は名古屋市で最も高い山で、標高200メートルくらいある、、
金井農園はそこにあって、金井重斗さんは高校を卒業後、ずっとぶどうをつくり続けている、、
ほとんどは生食用のぶどうだけれども、量にして5%くらい、ワイン用のぶどうも栽培している、、
ワイン通(うそ)のぼくとしては、話を聞かないわけにはいかないのである、、、
世界的に見ると、ぶどう生産の8割以上はワイン用で、生食用は1~2割だけれども、
逆に、日本の場合は9割が生食用、
ワイン用のぶどうをつくっているところは非常に少ないのである、、
とにかく、金井重斗さんの笑顔がいいのである、、まいったね、ほんと、、

平均70点でいい、均一なものをつくりたい

ーー金井農園はいつ頃始まったんですか?

金井 昭和20年に、おじいさんと親がこの場所に入って開拓し、農園を始めて、、
ぼくは24年に生まれて、高校受験の時に普通の高校行こうかと迷ったけれども、
やっぱり家の農園をやろかなと思って、、
だから中学卒業時に決断したの、
安城農林高校で寮生活をして、そのときがぼくは一番勉強になったの、、
あの時代が良かったと思います、、、
高校生の時から自立して自分で判断せな生きてけれんかった、、、、、

広大な敷地にぶどう畑が広がる金井農園

ーー最初からぶどうを生産していたんですか?

金井 いや、、、
昭和34年に伊勢湾台風が来て、、壊滅的打撃を受けて、、
それからもういっぺんやるかって、、、
借金しながら、農業構造改善事業っていうのも活用して、ぶどう園を始めたのが昭和36年だそうなんです、、
ぼくが安城農林高校を卒業したのが昭和42年なので、そこからずっとぶどうということでね、、、
本当はぶどうをつくりたかったわけではないんだけど、でも、
つくっていたら、もっといいものつくろうと思うようになって、、、
この年まで、もっともっといいものをと、、

ーーずっと、いいぶどうを追い求めてきた、、

金井 なかなか満足いくものがなかなかできないって感じだったんですよ、
今年、うまくいったとしても、来年、天気によってどうなるかわかんない、
だからね、だからぼくは、人生に完成はない、人生は過程が人生だと思った、
昔、品評会に出して準優勝したことがあるの、でも、いいものつくろうと思ってやってきたけど、
その時は、100点のぶどうもあるけど、20点、30点のもあって、、、
こんな賞をとったってダメだなと思って、、平均70点でいいから均一なぶどうをつくりたいと思て、、
そこからいろんな技術をまた一から勉強しながら、
均一なものをできるだけつくるような技術を構築しようと思ってやってきた、、、

ーーその頃つくってたぶどうはどんなものを?

金井 いっぱいあるよ、まずマスカットベリーから始まって、その当時はネオマスカット、ブラック、だんだん忘れちゃったけど、いろいろな品種で、

ーーそれは生食用のブドウですね、、

金井 そう、そう、そう、、
ワインのぶどうはかれこれ15年ぐらい、、20年前かも、、
世界的にはワイン用ぶどうが圧倒的に多いので、ちょっとワインの品種も遊びでやってみようかって、、、
当時、自分で潰してね、足で踏んだりしながらつくって、、
もちろん売ったりできないから楽しみでやってたんだけど、、
最終的にやっぱり販売した方がいいと思い、そしたら、許可とらないといけないから、

アイスコーヒーをふるまってくれた金井さん、ブラックを買ったつもりなんだけど、、よく見たら微糖になってて、、微糖でもいい?わるいね、なんて聞かれたのである、、
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