毎日がハイクデイ 16

 「知らない街を歩いてみたい」は、『遠くへ行きたい』の歌い出しのフレーズで、昭和の人なら皆口ずさむことが出来るはず。ジェリー藤尾が唱って、作詞作曲は、永六輔と中村八大の名コンビ。確か一九六二年、私が小六か中一の頃だったと記憶する。NHKのバラエティー番組「夢であいましょう」の中で唱われて大ヒット。他にも、坂本九の「上の向いて歩こう」、梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」、北島三郎の「帰ろかな」なども、この番組から生まれた。当時、全国的に広がった六〇年安保闘争(子どもたちの間でも「デモごっこ」なんて遊びが流行った。)の敗北に寄る虚無感と、しらけた空気が、若者たちの間に漂っていて、これらの歌は、そんな彼らの心の隙間を埋めるかのように受け入れられたのだろう。『遠くへ行きたい』がヒットしたのも、社会からドロップ・アウトした傷ついた心を知らない街に漂泊させ、慰めたかったからに違いない。
 最近話題になったテレビドラマの「Tシャツが乾くまで」(友人のマンションがロケ現場)は、夫婦や家族のあり方を問うドラマだった。人は、どうにも変わらぬ現実から、ふと逃げ出したくなるときがある。あらゆる人間関係をリセットしてしまいたい。それを実行に移すかどうかは別だが、そのように思わせる、しがらみに満ちた空気がこの時代にも漂っている。
 重苦しい時代が、またやって来た。

 半ノラ猫のユキが死期を悟って、我が家から姿を消してから、しばらくして茶太郎はやって来た。どこかの家で飼われていたのだろうか、人怖じもせず、玄関を出た私の足首にグリグリと頭を押し付けて来た。もう何日もろくに食べていないせいか、体はギスギスに痩せていたが、足首を押す大きな頭の意外な力強さに私は驚いた。その時からすでに茶太郎は片目だった。もう片方の目は生々しく潰れていた。茶太郎はオスなので、きっと縄張り争いの喧嘩でやられたのだろう。相手はかなりの猛猫だったであろうことは、その顔の傷から察せられた。尻尾を巻いて逃げ出すことをせず、毅然と立ち向かって闘った証だ。
 それからの茶太郎は、毎朝玄関先にやって来て、私の足首に頭をぶつけては餌をねだるようになった。ひと月もせぬ内に、それまでの骨張った身体が、少しづつ丸みを帯びて、我が家の庭に侵入して来たオス猫を追い払うまでの精悍さを取り戻した。そうして茶太郎は、我が猫ファミリーの門番役を担うかのように思われた矢先、秋風に攫われたかのように、忽然と姿を消してしまった。可愛いメス猫の尻を追いかけて、どこかへ行ってしまったのなら良いのだが……。

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