今回の大野さんの俳句と散文はなんとなくセンチメンタルな気分が漂っているように感じました。最初の書は謎の書道女子のmayuzoさんです。2種類に書とmayuzoさんの思いも書いてもらいました。紀貫之の写本を書いた藤原定信のように書きたかったけど書けなくて、、、失敗、、だそうです。それともうひとつ、パソコンのフォントを使って、、ぼくがちょっといろいろ加工してみました。(小出)


平方浩介さんは、神山征二郎監督の映画『ふるさと』の原作者で、私の唯一尊敬する先輩だ。映画の舞台となったのは、今はダムの底に沈んだ岐阜県の旧徳山村。平方さんはその村の出身で、村の分校の教師をされていた。岐阜の児童文学雑誌『コボたち』の編集長を歴任され、数々の名作を残されている。映画の原作となった『じいと山のコボたち』も、この雑誌から生まれたと聞く。また平方さんは作中のじいと同じくアマゴ釣りの名人で、我が釣りクラブ(へそ川クラブ)のメンバーでもある。某日、クラブ主催の釣り大会で、ダムに沈む前の徳山村を、平方さんの案内で、メンバー一同訪ねたことがあった。村の人のほとんどは、すでに離村しており、人気のない寂しい村の風景を思い出す。しかし、この日も釣りクラブの大会とは名ばかりで、大会前夜の宿泊先での宴会が主な目的。これは会の創立以来の伝統となっていて、実際、大会で優勝しても喜ぶものなんぞいない。その晩も宿としてお借りした民家の冬眠覚めやらぬカメムシ取りから宴は始まった。猪鍋を囲めば杯も進む。宴もたけなわとなる頃には、いよいよ待ちに待った平方節のお披露目となる。徳山に古くから伝誦される艶歌だ。歌の文句は忘れたが、腹の皮が捩れるほど笑わされた。
そんな平方さんも今年八十九歳となられる。私には兄のような、父のような存在。いつまでも元気でいてほしいと願うばかりだ。

特に風呂好きでもないのだが、たまに銭湯に入りたくなることがある。そんな時は、のんびり、ゆっくりと湯に浸かりたいので、人の少ない平日の昼間を選ぶことにしている。その時間帯の男湯は大抵、流浪の老人の溜まり場と化していて、かくいう私も自ずとその集団に取り込まれることになる。
ある時、その老人達の溜まり場に若い親子連れが参入して来た。父親は三十才前後、子どもは三才ぐらいの女の子。キャッキャッと、はしゃぎ回る女の子の甲高い声が、高い天井の空間に響き渡る。ケロリン桶がタイルを打つ音とも重なって、男湯の湯けむりが一気に華やぐ。湯船に浸かりながら暫し想いを巡らせてみる。果たしてこの親子は、父子家庭なのか。それとも、隣の女湯の妻をゆっくりくつろがせてやろうとの、夫としての配慮なのだろうか。私はその父子に、若かった頃の自分を重ねながら、ぼんやりと眺めていた。
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