修復家・加藤豊子の挑戦

豊子さんの仕事場の筆、仕事場はきちんとと整理されていた

仕事はここしかないと思っていた

――ウェスト・ディーン・カレッジ卒業後は?

加藤 イギリスじゃないと修復の仕事がないから、日本に帰るつもりはなかったんですけど、、
ロンドンで、陶磁器・ガラスの修復をしている人のワークショップがあって、その人はわたしが行ってたカレッジのアシスタント・チューターをしてた人で、そのワークショップの一室を借りて仕事をしました、、最初は、その人の仕事を手伝って、その後は自分の顧客を増やしていきました、、人伝でいろいろ、、
顧客は、アンティーク・ディーラーのほかに個人の仕事もありました、、物品を売買する商売が盛んだから、より綺麗にして売るために修復をやってね、っていう感じです、、、

――イギリスは、そういうのがかなり盛んなんですね、

加藤 そうです、、世界的に大きなショーがあって、ハイド・パーク・コーナーの脇にあるグローヴナー・ハウスっていうホテルでやるアンティーク&アートのショーと、それからセラミック専門のセラミック・フェアがあって、バーダの会員のセラミックとガラスの展示販売、オリンピアっていうところでは年に3回ぐらい定期的にアンティークを販売するショーがあり、それらに出品するために修復したり、あとは、ニューヨーク、ポルトガル、パリのショーに出すものの修復の仕事もありました、、

――仕事は、割と順調だったんですか?

加藤 忙しかったです、、

――腕が認められてたんですね、、

加藤 まあ、でも、良いショーに出すための修復をやらせてもらってたんで、評価は悪くはなかったのかな、、、貴重なもの、単価が高いものになると、やっぱりちょっとビビります、、、盗まれたら大変ですね、、とんでもないことになります、、

――じゃあ、もう日本に帰らなくてもいいかな、、そんな感じですか、

加藤 仕事はここしかない、っていう感じでした、

――その当時、年齢で言うと30代後半ぐらいですね、、

加藤 まあ、大丈夫かなっていう思いはありましたけど、いつまで経っても貧乏だなと思いながら、毎日暮らしてました、、

日本において、修復はあまり目立つ存在ではないけれども、実はいろんなところで修復が行われているはずである、、

イギリスは、、青春だった

――ロンドンの暮らしって、すごい憧れはありますけど、

加藤 暮らしやすいかどうかは、、、どうなんだろう、、でもいろんなことがあって、面白かったですよ、、
わたしが住んでるのは中心部じゃなくて、テムズ川よりも南側のサウスフィールズ、ウィンブルドンのテニスコートの近くだったんですよ、

――その頃、暮らしで一番の楽しみって何ですか?

加藤 仕事と、ギネス、
仕事場のすぐ隣にパブがあって、ランチに行くぞって誘われると行くんですけど、飲まなきゃいけないんですよ、、飲まないと、なんで飲まないんだって言われるんです、1パイント飲んでも、その後、仕事は普通にできました、、学校にもあるんですよ、学校の中にカウンターがあって、、

――いいなあ、、イギリスの「モース」っていう刑事ドラマがあってですね、昼間、上司と打ち合わせとかしてる時に、こんなにでっかいジョッキで、ビール飲んでるんですよ、あれ不思議だったのは、全然泡がないんですよ、、

加藤 泡を入れちゃダメなんです、法律で禁じられてます、泡は液体じゃないからダメなんです(計量法によって「1パイント(約568ml)の『液体』を満たして提供しなければならない」と決められている)

――ドラマに出てくるビター(伝統的なイングリッシュ・ペールエールの別名)は冷蔵でキンキンに冷やしちゃダメなんですよね、、

加藤 そう、室温で飲むんです、

――室温で飲むビールなんてあるんだってびっくりしたんで、すごい印象に残ってるんですけど、、、

加藤 常温で飲むのが一番美味しいものなんです、、でも、わたしは好きじゃないです、、わたしは絶対ギネス、、

――へー、、なんか楽しそうじゃないですか、、イギリスで、学校卒業後、仕事をしたのは何年間ぐらいですか、

加藤 5年ぐらい、、40歳で日本に帰ってきました、、

――豊子さんにとって、イギリスでの生活はどんな感じでしたか、、

加藤 青春でした、、全てが、力いっぱい、苦しいのも悲しいのも辛いのも楽しいのも、自分の能力が一番発揮できてた時だったので、もう青春ですね、本当に、自分の全てが自分だったから、、
でも、今振り返ればバカだったかもしれない、ただただバカだったから、楽しかったのかもしれない、

――バカができるのが青春なんじゃないですか、、

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